刊行のことば

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田川郷土研究会会長 星野重一
 
 筑豊は遠賀川流域にひろがる旧筑前国4郡・旧豊前国1郡を包含し,福岡県の内陸部をしめる地域である.ここに凡そ3世紀を遡る昔にわが国では最も早く全域的な石炭採掘がはじまった.明治維新以後は西日本でいち早く産業革命の洗礼をうけ,富国強兵策はこの地一帯を石炭主産地として形成してきた.政府のバック・アップをうけた政商,紳商は争って拠点を求め,これと競合する土着の坑主との間に戦国さながら詰抗が演じられた.辺境に位置しながら筑豊はどこよりも強烈な近代化の衝撃をうけ,混沌の熱気は風雲児を輩出させ,彼等の多くは烈しい浮沈興亡を重ねるうちに人生を燃焼しつくしていった.鮮烈な軌跡を描きながら果敢に滅んでいった開拓者たちの熱情と,故郷を喪失し暗黒の地下労働に身心を消耗していったおびただしい無名の庶民の辛苦を代償として筑豊の近代は開かれた.さらにここを一つの礎としてわが国の資本主義は形成され,列強に伍して市場の覇を争うに至った.それいらい筑豊は国産エネルギーの大半を供給しつづげ,国民経済の重要な役割りを担ってきた.戦時には自然の荒廃・人間の廃疾を省みぬ採掘が強行され,戦後はまた経済復興の先導的役割りを負わされてきた.しかし昭和30年代初頭よりのエネルギー革命の進行は筑豊炭田を全域的にスクラップ化し,数十万にのぼる人々が各地へ移住するのを余儀なくされた.明治いらい膨張をつづけてきた筑豊は一転して激甚な過疎地帯と化してしまった.巨視的にみれば筑豊石炭鉱業の崩壊は,エネルギー革命によって惹起され高度経済成長によって促進された産業構造の再編成過程に伴う不可避的現象であるかもしれぬが,地域の人々にとっては苛酷な試練を強いる生活基盤の破壊であり,石炭鉱業と不可分に展開してきた歴史の終幕を意味している.
 予測を超えた非情な歴史的転換の時期に際会し,期せずして石炭鉱業の歴史に対する関心が高まったのは,単なる懐古の情からでなく痛憤を伴う炭鉱への愛惜の念に発したものであった.本会はこのような住民共通の切実な関心に触発され,石炭鉱業史の研究は最も切迫した課題と自覚するに至ったのである.まず風土と住民に依拠することで成立する本会のような団体にとって石炭鉱業の展開と地域社会・住民の生活の変遷は不可避の命題とされねばならなかった.さらに筑豊がおかれた状況を客視的に把握するには,わが国石炭鉱業の全体的な趨勢が踏まえねばならぬ,産業史的,あるいは社会政策史的視点に拘束されることなく地域住民の主体的立場を貫徹するには石炭鉱業の全体性が問われねばならぬ.このためあらゆる事象を総合的に把握し,事実に即し事実に学びながら歴史的主題の多様性総合的に把握するのは避けられぬ手続きとなる.本会はこのような問題意識によって,昭和43年いらい石炭鉱業と郷土史を総合化する年表編纂を共同作業によって着手することにしたのである.しかし実際の問題として必ずしも地の利に恵まれず,必要な知識,経験を欠ぎ,とくに資料探索には多くの困難が伴なった.このとき当初から指導的立場で参加されていた九州大学秀村選三教授が同門の研究者の方々を糾合され,また田中直樹氏も合流し,われわれ地元団体と学界研究者を一丸とする「筑豊石炭礦業史年表編纂委員会」に発展し,民学一体となって作業を進捗させることにした.
 研究の対象が拡大するにつれ本会のような団体では到底まかない切れぬ資金を必要としたが,地元田川市が率先し次いで田川郡町村,福岡県より特例を設けて補助金を,朝日新聞社は異例の朝日学術奨励金を交付され,後半期にはまた西日本文化協会より必要な資金の確保で格別の配慮を頂くことで事業を継続することができ,また西日本新聞社もわれわれの立場に深い理解を示された.
 また資料の探索収集については関係機関,団体,施設をあげて全面的なご支援を頂くとともに,各地の研究者の方々より貴重な示唆と助言を頂いてきた.しかし本年表の編纂については必要な条件が十分整わず,試行錯誤を重ねつづけたが,筑豊と石炭に愛着をもつ多くの人々の支援に励まされ,筑豊炭田愛惜の念とこの期を逸してはとの思いにかられて完成を急いできた.着手いらい5年半を経てここに漸やく刊行の運びにこぎつけることになった.研究対象の大きさからいえば必ずしも十分の時間を費したとはいえぬが,日常繁雑な業務の余暇をさき私生活を犠牲にしてひたすら編纂に没頭してこられた編集委員の方々の精進の跡を思えば,改めて深い感慨を禁じ得ぬのを覚える.また民学共同研究の組織を維持し,立場の相違を超え共通の目標達成のため長年労苦を共にされた秀村選三教授をはじめ共同研究者の方々に感謝の意を表する.これらの方々の参加が得られなければ本書の視点は限定され,多くの基本的事項を欠落させたであろうと思い,改めて感謝申上げる.また劉寒吉,友石孝之,米津三郎など小倉郷土会の方々のご支援が,編纂過程で大きな支柱となったことも忘れ難い.それにしても無事編纂を了えることができたについては,田川市・田川市教育委員会が終始一貫ご便宜を計って頂いたことに負うところが大きい.出版に当っては西日本文化協会が刊行頒布を分担され,印刷については(株)一文字印刷所が営利を度外視し繁雑な工程を処理されたことを銘記したい.本書は筑豊についての最初の総合的資料であるためさまざまな瑕瑾を伴なっているが,各方面よりのご支援に感謝しその期待に応えるため敢て世に問うことにした.石炭と共に生きそして今日の試練に直面している筑豊の人々にとって力づげとなり,さらに地域に密着した石炭鉱業史研究が推進される機縁となることを願うものである.