Ⅲ 特徴

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 以上の過程をもって作成された本年表の特徴ともいうべきものを挙げれば次の通りである.
 第1は郷土研究会をはじめ民間の地方史研究者と,大学の経済史・産業史の研究者とが協力して,完成に漕ぎつけたことである.ただでさえ共同研究は相当むつかしいものであるが,ことに資質・経験・能力・志向・生活環境の種々異なる数十人の人々,それも地理的に離れてコミュニケイションも必ずしも充分といえない中で,数年にわたり共同の研究と作業を続けることは,まことに容易ではなかった.編纂委員会の苦心の一つは,まさに「民学協同」の持続にあったのである.しかし各人の年表作成への愛看と執念,相互理解への努力と寛容が,ここに良い稔りを結んだといえるのであろう.さらに編纂委員のみでなく,全国各地の協力者の暖い援助と支援なくしてはこの仕事は成り立ち得なかったであろう.ことに,われわれが大いに学んだことの一つは,地域産業史の研究にあたって,地域の人々,とくに産業の実務に長年携わった人々の経験と知識がいかに貴重なものであるかということであった.
 しかも年表の仕事はふつうの共同研究の如く各セクションを分担して協力するというのでなく,個人の業績は全体の中に埋没し,すべてが共同の責任にかかわる仕事であるだけに,結果の良否はともかく,民学協同の苦楽を共にして各持分を生かし,重荷を共に担ったという点は評価されてよいのではあるまいか.
 第2は筑豊地域を主たる対象とするが,さらに筑豊地域を超えて広い視野から筑豊石炭礦業史を展望しようと努めたことである.前にも述べた如く,編纂の初期段階では筑豊の石炭礦業史を含む田川の地方史的年表という性格であったが,各人の理解が深まるにつれて,たんなる同郷意識にもとづく郷土研究の年表でなく,むしろエネルギー革命が深化し筑豊地域の環境と生活が激変するさなかに,筑豊石炭礦業の歴史事実をつきつめ将来を展望するためには,広く全国的乃至国際的視野をもたなければ筑豊そのものも理解出来ないという共通の意識をもつようになったのである.さらに,世界の産業史の大勢,東アジアの石炭事情の大要をも年表に盛り込む計画をしたこともあったが,問題が余りにも拡散するために,現在見る如き「全国石炭関係」欄にとどめ,場合によって多少東アジアの石炭事情をも加えるにとどめたのである.しかも各欄とも能う限り第一次的資料を典拠とするに努め,また地元の資料と共に中央の資料をも用い,不充分ながらも今後広い視野から筑豊石炭礦業を展望する端緒を得たことは一つの特徴といえるのではあるまいか.
 第3は年表のもつ普通の常識にとらわれていないことである.年表は既知の歴史的事実の年代的整序を旨とするから,その典拠資料も既に研究史上,一定の評価を受けたものに限定し,各事項も既知の事実に限定すべきであり,その表現も最も簡潔な文章で適確にあらわすことが重要で,未知の事項や雑多な事件はむしろ無視するか,あるいは整理・統合して出来るだけ重要事項のみにより歴史の流れを把握出来るようにするのが年表編纂の常道,定石ともいえるであろう.
 しかしながら,本年表は必ずしも常道に沿ってはいない.むしろ意識的に常道から外れて,常識からすれば玉石混淆,ゴッタ煮の批評を受けるであろう個所もすくなくない.というのは,今日の石炭礦業史の研究段階で定石通りに「きれいごと」にすぎる年表を編纂することは,今後の研究のために必ずしも役立つと思えないからである.むしろ現在の研究段階を幾分かでも超えようとし,未知の資料を発掘・調査・研究しつつ年表に組み込むように努めたことである.これは自らに大きな苦労を課することになったが,今日までの研究の蓄積の乏しさからすれば当然なさねばならないことであった.この年表編纂の過程で採訪し新しく知った資料はきわめて多く,実に厖大な量に達し,新事実もきわめて多い.その全てを組み込むことが出来なかったのは残念であるが,その努力は今後に大きな意味をもつであろう.また古文書による事項記述には冗長の感を免れないものもあるが,これも安易に簡単化するよりは,むしろ史料綱要を作成する気持で記述するように努めたのである.したがって通常の年表からは相当逸脱したものになってもいよう.しかし多くの問題点を示し,不備は不備なりに「読む年表」として読者に研究の意欲をかきたてる面白い年表になっているのではあるまいか.