(イ) 1830年(天保1)から1887年(明治20)までは,<生産・流通>欄と<企業・労働・災害>欄との区分を設けず,<筑豊石炭関係>欄のみとした.すなわち,この期間だけは3区分となった.これは筑豊における石炭礦業の近代的発展は1888年(明治21)撰定坑区制の実施を画期とし,それ以前はいまだ未成熟の段階にあったため,強いて二つに区分するのも合理的でないとの観点にもとづくものである.
しかし,その記述は,他の時期との均衡上見開き2ページを4分し,その中央2欄をこれにあてた.
(ロ) 筑豊の各炭礦労働組合が参加した全国的規模の労働争議は,本来<全国石炭関係>の欄に収録すべきものであるが,戦後は各項の収録数にいちじるしい格差があるので,戦後の特例措置として,<企業・労働・災害>の欄に収録した.
(ハ) 統計的な数字のうち,全国的な指標を含むものでも筑豊に関する事項を主とするものは,<生産・流通>および<企業・労働・災害>の欄に収録した.