炭鉱,特に<鉱>の字は,時代と地方により<坑>,<礦>,<鉱>をあてており,その変遷の時日が必ずしも明確でない.また,資料によってもさまざまで,同一資料の中でも混用が見られる.例えば,『本邦鉱業ノ趨勢』の明治40年の記事には入山炭坑・鯰田炭坑・岸嶽炭坑とあり,明治41年の記事では入山炭礦・鯰田炭礦・岸嶽炭礦となっているがごときである.
それ故,きわめて画一的で根拠稀薄ではあるが,あえて1830年(天保1)から1926年(大正15)までは<炭坑>,1927年(昭和2)から1945年(昭和20)までの全国石炭関係欄は<炭礦>,筑豊石炭関係(生産・流通・企業・労働・災害)欄は<炭坑>とし,1946年(昭和21)から1968年(昭和43)までは<炭鉱>とした.
<鉱夫>についても,ほぼこれにならった.
なお,九州炭礦汽船・三菱筑豊礦業所のような固有名詞はそのままの字句を使用した.炭礦労働組合の名称についてもこれに準じた.
社名を冠称した炭鉱,たとえば<麻生本洞炭坑>,<三菱鯰田炭坑>は,それぞれ<麻生本洞>,<三菱鯰田>のごとく略記した.ただし,<明治炭坑明治坑>は<明治>とした.