『新・田川紀行』刊行にあたって ―田川広域観光協会設立十周年記念によせて―
『新・田川紀行』の活用にあたって ―持続可能な観光・ツーリズムと歴史文化の学びを祈念して―
伝教大師(でんぎょうだいしさいちょう)最澄と田川 最澄の足跡と天台宗の広がり
英彦山座主(ざす)「昌千代(まさちよ)」 霊山の法灯を護った女性座主
英彦山御潮井採(ひこさんおしおいと)り 山と海を結ぶ信仰の道
川崎の杖楽(つえがく) 鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)伝説と正八幡神社
藤原今任卿(いまとうきょう)と建徳寺(けんとくじ)城 藤原今任卿伝説の地
小督(こごう)の局(つぼね)伝説と平家落人(おちうど)伝説 平家の栄華と悲劇を偲ぶ
豊前の安国寺「興国寺(こうこくじ)と無隠元晦(むいんげんかい)」 南北朝時代の郷土
征西将軍懐良親王(せいせいしょうぐんかねながしんのう)と菊池氏による九州制圧Ⅰ 南朝勢力、いまだ衰えず(一)
征西将軍懐良親王と菊池氏による九州制圧Ⅱ 南朝勢力、いまだ衰えず(二)
毛利元就(もとなり)と大友宗麟(そうりん)の戦い 豊前国盗り
毛谷村六助(けやむらろくすけ)と歌舞伎「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」
コラム 今につながる南北朝の道(菊池道)か 県内最長の県道52号
享保(きょうほう)の飢饉(ききん)と供養塔 江戸時代の災害と人々
日田咸宜園(がんぎえん)、水哉園(すいさいえん)の発展 水郷日田に学ぶ遊学者
大行事井堰(だいぎょうじいぜ)きと大行事坂 豊かな農地と安全な往来を求めて
宝永大地震と鯰絵(なまずえ) 恵比寿さまと詫びを入れる鯰たち
小倉藩主・小笠原忠幹(おがさわらただよし)公の亡骸移葬 お殿様を取り戻せ
コラム 日本陸軍の父山縣有朋(やまがたありとも)と国防 下関要塞司令部と鉄道路線
コラム 川崎町に残る明治期技術者の工夫 明治の鉄道橋梁群(きょうりょうぐん)
下駄っ歯(げたっぱ)と云われた明治の赤煉瓦橋梁(あかれんがきょうりょう) 下駄っ歯構造のなぞ
コラム 複線化未完成の鉄橋 〝六十尺〟の大橋梁(きょうりょう)
藏内家と炭鉱経営 藏内家と炭鉱経営 二つの峰地(みねじ)炭坑
コラム 九州マクセル赤煉瓦館記念館 旧三菱方城炭礦坑務工作室
炭坑節発祥の地(小野芳香(よしか)・赤坂小梅) 歌い継がれる小梅姐さん
コラム 日本近代モダニズム建築の父 アントニン・レーモンドと英彦山山の家
近現代の田川と文化(概説) 豊前と筑前が生み出した多様性と豊かさ
神幸祭(じんこうさい) Ⅰ 祭りに沸くふるさと(神幸祭と山笠)
風治八幡宮(ふうじはちまんぐう)の川渡り神幸祭 福岡県無形民俗文化財
英彦山松養坊(しょうようぼう)と種田山頭火 英彦山の文学サロン
山頭火(さんとうか)の英彦山登山 湯山鉱泉(ゆやまこうせん)の奇妙な客たち
三井倶楽部(みついくらぶ)を訪れた画家文人たち 百円坂倶楽部
夢野久作(ゆめのきゅうさく)と明治豊国炭坑(めいじほうこくたんこう) 田川郡糸田町
コラム 郷土(きょうど)が生んだ文学作家(ぶんがくさっか) 橋本英吉(えいきち)
コラム 藏内次郎作翁銅像(くらうちじろさくおきなどうぞう)の顛末 朝倉文夫作品
英彦山豆腐(とうふ)と柚(ゆず)ごしょう 南極に行った柚ごしょう
二つの神功皇后御腰掛石(じんぐうこうごうおこしかけいし)伝説