【編集会議 対談】

13 ~ 13

長谷川清之

 郷土研究を行う上で感じることは、多くの諸先輩方の業績の積み重ねを土台として今日の研究があるということです。代表的なものとして、大正十(一九二一)年にはじまる鷹羽研究会から、戦後新たに発足した田川郷土研究会の活動においてそれを目にすることができます。残念なことに、戦前の研究家におかれましては、お名前と玉稿は残るのですが、どのような人物であったか、記録が無くさみしい限りです。何らかの形で掘り起し顕彰していきたいものです。

岩本教之

 私の傍らには常に英彦山研究のバイブル、田川郷土研究会の増補『英彦山』があります。その研究会の先生方にはいつも貴重なお話をしていただきました。大学卒後、恩師安蘇龍生先生を訪ね、私と郷土田川の歴史との関りが始まりました。花村利彦先生とは『添田町史』、佐々木哲哉先生とは石炭資料館での英彦山展で大変お世話になり、そして、何よりも長野覺先生には英彦山の調査、整備など最後までご指導を賜り、先生の願いであった守静坊を今、甦生しています。郷土田川の歴史文化を慈しみ続けた諸先生方の思いを繋げていきたいと思います。

森本弘行

 田川市石炭・歴史博物館(田川市石炭資料館)での学芸員時代、佐々木哲哉・花村利彦・安蘇龍生の諸先生に館長として「資料の公開と保存を両立させることの重要性」「資料を見る目を養うには本物を何回も見ること」「資料を的確に活用するための整理方法の大切さ」等をご指導いただきました。佐々木館長とは、山本作兵衛翁の絵画は炭坑を絵と文で描き記録していると見方が一致し「山本作兵衛炭坑記録画」と名付けたことを忘れることができません。

桃坂豊

 田川は豊前国と筑前国の文化に大きく影響を受けています。英彦山や香春の神が古代から人々によって祀られ、遠賀川水系を母に豊かにはぐくまれてきました。長野先生の『英彦山修験道の歴史地理学的研究』をはじめ、諸先輩方の研究によってその姿が少しずつ明らかにされてきました。宇佐や太宰府など広域で見ることで、もう一度田川の里の物語を再構成する機会を提供できるのではないでしょうか。そうすれば、新しい角度から地域の歴史や文化を観光につなげることができますね。

中野直毅

 『新・田川紀行』刊行を機に、広める課題をさらに追求し、田川の活性化に資することが大切でしょう。対象年齢を絞り込んだテーマごとの分冊化や、リーフレット、観光マップなどの作成と活用といった展開が考えられます。地域の人たちの「知りたい」「わかりたい」が、事実に即してつながること、地域の宝物の再発見につながること、「持続可能な学びのある観光」といった方向から様々な展開がなされ、田川地域の活性化に活きることを願っています。