旬の味覚を取りそろえる物産直売所では、毎月第三日曜日に「おじゅごんち市」を開催。フードコーナーでは名物「石炭ソフト」が味わえます。
関の山一帯に降った雨水が地下の石灰岩水脈をくぐり抜けて湧出する泉。古くから生活・灌漑用水として、この地域の生活を支えてきました。
漂泊の俳人・種田山頭火を経済的、精神的な面で支えた明治鉱業豊国炭鉱(糸田町)の医師である木村緑平との交流・文芸活動を記念し、町内には歌碑やモニュメントが点在しています。
金村神社の拝殿に一五枚の七〇cmほどの天井絵がはめ込まれています。虎・猫・鳥などの代表的な動物の絵や故事をもとにした天井絵も三枚ほど描かれ町の文化財に指定されています。
日本を代表するシンガーソングライターである井上陽水は糸田町育ちです。「憩いのひろば」には代表曲である「夏まつり」の歌碑があります。
千人塚は江戸四大飢饉のひとつ享保の飢饉で亡くなった餓死者を弔う供養碑です。この飢饉は西日本での被害が深刻であり、田川地域でも多くの方が亡くなりました。
道の駅いとだからすぐ近くの高台にある公園。春は満開の桜、初夏には斜面一面に咲き誇る色とりどりのアジサイが観賞できます。
道の駅いとだから、国道二〇一号線を飯塚方面に少し進んだ場所にある落差一〇m程の三段の滝。秋には紅葉、冬には雪景色に変わる風光明媚な滝です。
糸田城は鎌倉時代末期、豊前国守護と伝わる糸田貞義が居城したとされています。貞義は北条氏一門の金沢流出身といわれる武将です。
一つの石で彫り出した五輪塔のことを一石五輪塔と呼びます。中世後期のものと考えられており、九州では非常に珍しいものといわれています。
六世紀後半に築かれた約二五mの円墳で、発掘調査では副葬品の須恵器の提瓶・大壷の破片・土師器等が出土しています。
糸田町と旧頴田町の境界線上には三基の国境石が残っており糸田町の文化財に指定されています。なお、国境石は昔と位置は変わらす、現在も町境として機能しています。