香春の歴史は古く、『万葉集』にも「豊国の香春は吾家」とその名が詠まれています。当時、都と大宰府を結ぶ官道の宿駅として栄えましたが、平安時代には、最澄が渡唐のために香春神社に祈願し、神宮院を造営しました。中世には、香春岳城をめぐり多くの武将が争奪を繰り返しています。近世初期には、香春岳城を背後に控えた交通の要衝として繁栄し、藩の役所も置かれ、藩政の中心地でした。宿場町としても小倉藩のお茶屋や田川郡内の各手永の郡屋が置かれました。小倉藩は、慶応二(一八六六)年の小倉戦争で、小倉城自焼後、香春に藩庁を移転、明治三(一八七〇)年一月、豊津に移されるまで香春藩が置かれました。その後、明治十一(一八七八)年に旧香春藩庁舎に田川郡役所を設置。商業も繁栄していましたが、豊州鉄道敷設に際し中心部を離れて香春駅(現勾金駅)が設置されたことや、大正一五(一九二六)年の郡役所廃止により、徐々に郡の中心は後藤寺町・伊田町(現田川市)に移っていきました。
(長谷川清之)