原始・古代の田川(概説) 調査・研究の歴史

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【関連地域】田川市 香春町 添田町 糸田町 川崎町 大任町 赤村 福智町

 田川地域の原始・古代についての調査・研究は、半世紀前までに比べると飛躍的に進んでいます。以前は、地方史研究家や学校の教員に頼っていた埋蔵文化財の調査を、最近では、行政が行い記録保存するようになりました。今日に至るまで田川地域の考古学の調査・研究はどのように進められてきたのか、その概要をたどってみたいと思います。

 田川地域の考古的な調査記録の最も初例として確認できるものは、明治二一(一八八八)年の『豊前・筑前其他出土考古品図譜』と小川敬養の「田川郡夏吉村横穴探究記」(東京人類学雑誌)です。前者の編者は不明ですが、田川地域十二か所における遺構・遺物の「略測図」と出土状況や資料の状態(記録)が記されています。

 大正時代に入ると大正十(一九二一)年に鷹羽(たかは)郷土研究会が発足し、地域史の研究が進められます。考古では山本通氏が、森安の横穴(川崎町)、糒の横穴(田川市・福智町)の調査、伊加利古墳と出土した内行花文鏡について報告しています。戦前には、昭和五(一九三〇)年に山本通氏により天台寺の調査、昭和七(一九三二)年に天台寺瓦窯跡の発掘調査が行われ、『史跡名勝天然記念物調査報告書』第五輯・第七輯として刊行されました。同年、藤武貞夫氏が彦山川中流域(旧金田町)で考古資料を収集し、翌年に『田川郡地方遺蹟収集記録』としてまとめました。

天台寺瓦窯址調査のようす


 戦後になると、学校では、新しい歴史の姿を子供たちに伝えるために、社会部や郷土部が創立されました。田川地域では、旧制田川中学校に赴任した校長石村一男氏の指導の下、教諭塚本勇二氏が田川市天台寺跡出土資料の展示室を開設し、後に、展示室の資料整理と調査内容の経緯を『天台寺遺蹟』にまとめています。また同年、森貞次郎氏は、天台寺跡の破壊状況を確認し、県へ報告を行っています。昭和三〇(一九五五)年には上野焼(あがのやき)釜の口の調査が日本陶磁協会他で行われ、窯構造や多くの陶磁器片が出土しました。

 昭和二八(一九五三)年、糸田中学校(糸田町)では、豪雨で洗い流された運動場から甕棺(かめかん)が姿を現したため、教諭香月利伝氏と社会科クラブが、田川地域で初例となる甕棺の調査を行います。その調査の記録を、同校教諭合原朝幸氏が『泌泉(たぎり)』第四号にまとめています。また、同年頃の「泌泉」第二号に、糸田町内の古墳位置図や石室のメモが掲載されています。昭和四三(一九六八)年にはセスドノ古墳(現福岡県指定史跡)が調査され、朝鮮半島系の石室や遺物等が出土しています。

 昭和四一(一九六六)年、ダムに沈む添田町津野地区の民俗資料緊急調査が行われ、縄文時代のズイベガ原遺跡が発見されました。

 昭和二五(一九五〇)年に文化財保護法が制定されましたが、昭和三〇年代後半からの高度成長期によって大規模な開発が押し寄せると、遺跡の破壊が多くなりました。当時は各自治体に文化財専門職が配置されておらず、その対応には、地域の社会科教諭があたることが多かったようです。なかでも、後の田川郷土研究会会長花村利彦氏の活躍は顕著で、田川市内の中学校に勤務する傍ら、工事で発見された遺跡の対応に尽力しました。氏の最も大きな功績は、昭和三九(一九六四)年に田川地域の遺跡を調査・研究し、一覧表と分布地図にまとめたものを『郷土田川二一号』に掲載したことです。当時としては、田川地域の遺跡とその状況がわかる画期的なものでした。

 田川市立伊田中学校では、昭和三〇年代に郷土クラブが活動しており、学校近くの蛍ケ丘横穴群を調査しています。金田中学校郷土クラブ(福智町)は、昭和五三(一九七八)年に発足し、植田辰生(うえだたつお)教諭のもと、町内の考古資料や歴史を調査し、「北穴ノ谷古墳群調査報告」等、多くの調査結果を『金田町の歴史を訪ねて』にまとめています。植田氏は方城中学校や赤池中学校でも活躍しました。川崎中学校(川崎町)でも、昭和五十年代に郷土クラブが町内の遺跡の調査等を行っています。昭和五四(一九七九)年、田川東高校(現在の東鷹高校)考古学クラブが発足し、安蘇龍生(あそたつお)教諭の指導のもと、位登(いとう)古墳(田川市)や夏吉二号墳(田川市)の測量調査の外に、狐ケ迫横穴群(田川市見立)、松ケ迫遺跡(糸田町)の調査に参加しています。

 戦後は学校だけでなく地域の郷土史会や個人の活動も盛んになりました。夏吉若葉会(田川市)は、夏吉古墳群の分布調査や石室の測量調査を行い、地元夏吉地区の文化財調査を進めました。個人では、植木忠氏(田川市糒)が、地元の糒地区を中心に多くの遺物を採集しています。特に寺の上出土のナイフ型石器や中細型銅剣の発見は有名です。

 田川地域では、埋蔵文化財の保護・保存が進み、多くの資料やデータが蓄積されています。今後は、考古等を含め歴史資料の永続的な保存と活用が求められています。

(長谷川清之)

整備された城山横穴群(福智町金田)