コラム 英彦山修行窟めぐり

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【関連地域】添田町

 古来、英彦山修行の中心は窟に籠る籠山修行(ろうざんしゅぎょう)と考えられています。窟は神霊の宿る最も霊力の集まる場所で、読経瞑想して神霊と交わることで英彦山権現の霊徳を得ることができ、超人的な力を授かることができたといいます。『彦山縁起』には「四十九の窟は兜卒摩尼殿(とそつまにでん)に擬す」とあり、弥勒菩薩が修行する四十九の院に準え、四十九の修行窟を置きました。窟には英彦山権現の霊徳が納められた宝珠(ほうじゅ)があり、これを得るために厳しい修行をしました。

 鎌倉時代初期の建保元(一二一三)年に著された『彦山流記(るき)』には四十九の窟名、故事来歴、宝殿規模、守護童子名などが記載されています。故事詳細が記されているのは第八今熊野窟までで、その後は窟名、守護神名のみとなっています。

 籠窟(ろうくつ)は英彦山七里結界領域の中に広く点在していて現在、所在推定されているものは三十七窟で英彦山内には十二ほどの窟の位置が確認されています。窟の概観は基本的に山上部を覆う輝石安山岩(きせきあんざんがん)層の下部にある「耶馬渓層」と呼ばれる軟弱な成層集塊岩にできた自然風穴を利用したもので、山内のものは概ね標高六〇〇~八〇〇mに点在します。今は英彦山神宮の末社に姿を変えている、玉屋神社(第一般若(はんにゃ)窟)、豊前坊・高住神社(豊前窟)、大南神社(大南窟)、岩屋神社(宝珠山窟)などがあり、現在も深く信仰されているので、その中心である第一般若窟(玉屋神社)を紹介します。

玉屋神社(般若窟)


 第一般若窟は英彦山権現が如意宝珠(にょいほうじゅ)を納めた、英彦山の始まりの地です。『彦山流記』によると「英彦山権現は(インドにある)摩訶提(まかだ)国から持ってきた宝珠を般若窟に納めていた。宇佐の法蓮上人はこの窟に十二年籠って一心に修行すると、窟内の御池から小さな竜、倶利伽羅が現れて宝珠を上人の袂に吐き出した。上人はその宝珠を宇佐八幡神に受託した。」としています。さらにこの窟を「英彦山権現の般若(智慧(ちえ))が納められた場所であることから般若窟と呼んでいたが、宝珠湧出(ほうじゅゆうしゅつ)の後は玉屋窟と呼称された」としています。この窟は五〇m以上もある岩の下にできた籠窟に覆屋(おおいや)を掛ける「お籠り堂」として、行者がきびしい籠り修行により宝珠を授得するという英彦山窟修行の根源が示されています。いまも倶利伽羅が宝珠を吐出したという小さな御池があり、御池霊水が濁ると天変地異が起こるという故事から御池清浄のため、旧六月中旬に行う英彦山神宮の「御池浚神事(みいけさらいしんじ)」には、多くの参詣があり、彦山権現の宝珠湧出の場所として現在も深く信仰されています。

(岩本教之)

法蓮上人画像