香春町に〝勾金〟という地名があります。平成筑豊鉄道にも勾金駅はありますが、難読地名で田川地域外の人には〝においかね〟とか〝こうきん〟とか読まれる場合も少なくありません。さて、この不思議な地名について少し考えてみましょう。
勾金が正式な地名(村名)になったのは、明治二一(一八八八)年で旧中津原村・高野村・鏡山村が合併した際、新しい村の名前を付けなくてはいけなくなり、四ヶ村の戸長とこの地に鎮座する鶴岡八幡神社の宮司が協議の結果、いつの時代から祀られていたか不明という古くからある『勾金神社』の名前をいただいた村名になったといわれています。この創建不明の古社である勾金神社は『手置帆負命』と『彦狭知命』とあまり聞きなれない二柱の神様をお祀りしています。この神様は高天原で天照大御神の神殿をつくったという神様で、古くより木匠さんの祖神として崇敬され、大工さんの最も重要な道具の一つである「曲尺(金尺)」と関係が深いと言われ、大工さんの信仰が厚い神社です。かつてはこれらの信仰から神前に「木槌」を奉納し、その木槌で体の痛いところをたたけば痛みが和らぐといわれ、治った人は新しい木槌を奉納するという信仰が戦前までは盛んにおこなわれていたと伝えられています。
さて、第二七代天皇は安閑(五二七年頃)と言われる天皇です。あまり聞きなれない天皇の名前ですが、継体天皇を父に持つ天皇で御名・異名を勾大兄広国押武金日尊と言われています。また皇居は勾金橋宮(『日本書紀』)あるいは勾之金著宮(『古事記』)といい、現在の橿原市曲川町の金橋神社ではないかと考えられています。近くにはJR西日本桜井線には金橋という駅もあります
香春という地域性を考えると、まんざら無関係とは思えず勾金神社という創建不明の古社との関りも無視はできません。また、この安閑天皇の時代、全国に屯倉も設置されていて、畿内と田川の関係の研究も今後の課題といえるでしょう。