昭和五六(一九八一)年、角川春樹事務所・東映製作の映画「魔界転生」が公開され、大変話題となりました。
天草の乱で無念の死を遂げた天草四郎(沢田研二)が魔界から復活し、名だたる剣豪たちを次々と蘇らせて時の将軍である家綱に復讐を企てます。天草四郎の野望を打ち砕くために現世に生きる剣士である柳生十兵衛(千葉真一)が立ち上がるというストーリーです。
この映画はもちろん創作物語ではありますが時代劇ファンはもちろん、剣聖たちの生きざまを見事に描き、怪奇に満ちた展開には怖いもの見たさから、年代を問わず大ヒットしました。
魔界から転生した天草四郎とともに、魔界衆の主役をつとめるのが戦国一の美女と言われた細川ガラシャでした。ガラシャ(本名「たま」(玉/珠)または玉子)は明智光秀の三女として生まれ、のちに細川忠興の正室となった女性です。
天正六(一五七八)年八月、ガラシャは勝龍寺城(京都府長岡京市)に輿入れし(細川家記)、細川忠興と新婚生活を送ります。この二年間が二人にとって一番幸せな時代で、勝龍寺城の城内には当時の二人の仲を象徴するような仲睦まじい銅像があります。その後戦いに明け暮れた忠興は城に戻ることは少なくなり、寂しさからかガラシャはキリスト教の洗礼を受けます。
慶長五(一六〇〇)年、細川忠興が上州征伐に出陣した隙に西軍の石田三成がガラシャを人質にしようとしますが、人質になるのを拒んだガラシャは家臣による介錯という壮絶な最期を迎えたと言われています。
細川忠興は後に小倉藩主となり、元和二(一六一六)年に現在の英彦山神宮奉幣殿を再建しました。この社殿は当初は寄棟造でしたが、享保八(一七二三)年に小倉藩主小笠原忠雄(ただかつ)により、大屋根の入母屋造に改造された記録があります。
元和二(一六一六)年と言えば愛する妻が壮絶な死を迎え一七年目、仏教では一七回忌にあたります。一説ではガラシャへの思いが皆無だったと言われる忠興ですが、英彦山に奉幣殿を寄進するにあたり、ガラシャへの思いがあったと思うのは筆者だけでしょうか。
奉幣殿には数々の不思議があります。まず、山中になぜこのような巨大な建築物をつくったのか、また北側を拝む特異な方向の伽藍(がらん)(拝殿)は一般に妙見信仰(みょうけんしんこう)と言われますが、神宮関係者によると、英彦山山中には妙見様や北斗七星を拝む信仰はなかったとのことでした。また、英彦山神宮に残されている改修前の奉幣殿の図面を見ると、教会の聖堂を思わせる外観となっています。仏教徒としての妻たまと、キリスト教に帰依したガラシャ、二つの魂への深い愛と相反する忠興の気持ちの表れが奉幣殿という建築物として今に残っているというロマンを追い求めたくなるのは筆者だけでしょうか。
英彦山を頂点とした田川地方には古くから隠れキリシタンの痕跡が点在しており、近年では隠れキリシタンに関する多くの検証や発表が行われるなど、田川各地でキリシタン研究が盛んになりつつあります。近い将来、田川地方における新しいキリシタン学説が新風を巻き起こす可能性は高く、身近に感じていた風習や信仰に新たな視点を加えることが必要になってくるかもしれません。