コラム 今につながる南北朝の道(菊池道)か 県内最長の県道52号

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【関連地域】香春町 添田町

 香春町から大任町を経由して添田、英彦山方面に向かうと県道五二号線の標識を目にすることができます。この県道こそ八女市山内(上山内交差点)と田川郡香春町高野を結ぶ約八九kmの〝八女香春線〟で、福岡県内最長です。

県道52号線香春側の起点、香春交差点(香春町高野)


 道路というのは本来、交流や交易のある地域と地域を結ぶものですが、福岡の県道路線第一次認定(昭和三〇(一九五五)年一月二五日告示第九三四号)の中に「八女添田線」があり八女郡星野から浮羽、杷木、小石原より添田を結ぶ県道として認定されています。八女香春線の原型と思われ、添田から香春まで追加されて現在の形になったのでしょう。

 香春(添田)と八女(星野)の道筋と言えば、南北朝を思い起こします。田川地方の軍事拠点の一つが英彦山です。強大な軍事力を有する英彦山を敵に回したくなかったのはだれしも同じで、征西将軍懐良親王とて然りです。香春町鏡山に小富士山という山があり、そこを詠んだという宮の歌も時代はずれていますが伝わっています。この時代より英彦山を中心として香春(田川)と八女地方を結ぶ交易交流ルートがあり、その故事が県道制定の基になったと考えるのは飛躍しすぎかもしれませんが、ロマンあふれる話です。

 さらに、古代筑紫の君といわれた磐井は戦いに敗れますが、最後の地を『日本書紀』は御井郡とし、『筑紫国風土記』逸文は豊前国の上かみみつけ膳県としています。上膳県に逃れて「南の山の峻(さか)しき嶺の曲(くま)に終(みう)せき」とあります。古代、香春岳と英彦山は関係深く英彦山のことを南山と表記されており想像を膨らませたくなります。近年、香春町には韓国発祥のトレッキングコースの「九州オルレ」がオープンしましたが、八女にもオルレコースがあり香春コースよりも先輩です。この八女コースのスタート地点が現在の県道五二号線のスタート地点でもあり、香春と八女をつなぐ交流の歴史が生まれました。

(桃坂豊)

八女にある彦山神社(八女市上陽町)