コラム 江戸時代の給水設備か? 宮原に眠る謎の地下水路

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【関連地域】香春町

 香春町の中で最大の謎のひとつに〝宮原盆地の地下水路〟があります。『郷土史誌かわら』第四三集(平成八(一九九六)年)で「宮原盆地謎の地下水路について」を報告しました。全長四kmにも及ぶ地下水路は、何の目的で何時つくられたか、始点終点ともに不明という構造物です。地元では年中、水温も一定できれいな水が流れており〝吹き出し〟と言われています。

水路拡大写真 天板で密閉(香春町宮原)


 以前調査した時、取り込み口は採銅所駅近くの井堀という場所と推定されています。その後、宮原地区で圃場整備が行われたとき、地表より四m位の位置に三〇cm弱の石組みの水路が確認できました。もちろんこれは埋め戻され、十分な調査は行われてなく今も残念でなりません。この時確認できたのは少なくても四本の水路があり、終点は日田彦山線第二金辺川橋梁近くまであります。大部分は地下に埋もれた遺跡なので全容はわからなかったものの、宮原地区に古くから住むK氏宅の庭には吹き出し口があり、池の泉水として利用していました。

 現在、特別養護施設望岳園のある台地は岩原という地名で、かつて香春岳が崩壊してできた土地です。大正時代、郡役所をここに新築する計画があったものの井戸水が確保できる見込みがなく断念したという話が伝わっています。つまり乾いた土地なのです。しかし赤土の肥沃な土地であり、水田として利用するための給水設備ではないかと推定しています。実際測量してみると井堀は標高七八m、岩原台地は六五mです。密閉性さえしっかりしていたらサイフォンの原理で水は無理なく運べます。実際江戸時代では金沢兼六園や熊本通潤橋ではサイフォンを活用しています。従来、宮原盆地の暗渠排水、または採銅所で古代から行われていた製錬で発生した汚水の排水路ではないかという説はありましたが、石造りの断面を見てみるとどうも排水路ではなさそうです。

 K氏は残念ながら先年他界されましたが、宮原ライスセンター近くの山中に〝エドガ墓〟があると教えていただきました。江戸から来た偉い人を葬ったのではなかろうかと。大胆な推論を行えば江戸から来た技術者や工事関係者が地下水路を造り、ここに葬られたのかもしれません。記録が今に伝わってないのは、何らかの理由で工事自体が未完成に終わったためではないでしょうか。いずれにしても今現在でも謎を含んだ清冽な水が流れており、以前大渇水が起こった後、緊急用の水源として整備されたものが今でも渇水への備えとして活用されています。

(桃坂豊)