【関連地域】赤村
油須原(ゆすばる)駅は、豊州鉄道行橋・伊田間が明治二八(一八九五)年八月十五日に開業した(今の平成筑豊鉄道田川線)ことにあわせて落成しました。このことは、明治二七(一八九四)年十月七日発行の『門司新報』に、古い新聞記事では、鉄道の停車場として内定した五か所が記され、この中に油須原と確認できます。明治二八年八月二〇日付けの『官報』(内閣官房局発行)に見られる通達には、豊州鉄道の開業免許が承認されたことと、各停車場間の距離を示しています。
その後豊州鉄道は、経営上の理由から九州鉄道と合併しました。合併後の『駅勢一覧』にも開業から十五年後に駅舎の改築工事が行われたとあります。具体的な工事の様子は不明ですが、炭鉱産業の隆盛にともない様々な物資の輸送量や旅客の増加が、鉄道の整備拡張に拍車をかけていたのでしょう。
油須原駅の木造駅舎に関わる記述は現在確認できませんが、建築構造は明治後期から大正にかけての木造建築物に見られる技法をもって建てられた可能性が指摘されます。参考として筑豊地域にある明治から大正にかけての木造駅舎、採銅所駅(香春町)、鯰田(なまずた)駅(飯塚市)などと比較すると、いくつか似たような構造を油須原駅も持っていることが伺えます。
一一三年間という長い歴史のなかで木造駅舎は日本の近代化や戦後高度成長の一翼を支えてきました。油須原駅や採銅所駅はそのような面影を今に残す貴重な遺産と言えます。
(松浦幸一)