豊州鉄道の赤煉瓦(あかれんが)橋梁に使われている煉瓦は、どこで生産されたものなのでしょうか。かつて企救(きく)郡松ヶ江村(現在の北九州市門司区猿喰(さるはみ))にあった「石原煉瓦工場」が豊州鉄道に煉瓦を納入していた、という新聞広告が、明治二八(一八九五)年八月十七日の「門司新報」に掲載されています。ただ、煉瓦については不明な点が多く、橋梁に使われた煉瓦がどこのものなのか、まだはっきりとは分かっていません。その石原煉瓦工場については、『門司郷土叢書(そうしょ)』や『松ヶ江村覚書』などに詳しく書かれており、『松ヶ江村覚書』には、煉瓦製造所があった場所を示した猿喰の地図が掲載されています。資料によると、石原煉瓦工場が創業されたのは明治二三(一八九〇)年四月のことです。工場では普通煉瓦を製造し、創業した年には、煉瓦を年間百万個製造していました。明治二四(一八九一)年に完成した九州鉄道本社に使われた赤煉瓦を納入したのも、この石原煉瓦工場です。また米津三郎著『明治の北九州』によると、当時関西有数の大建築物であった日本銀行西部支店にも、煉瓦百万個が納入されました。
猿喰にある厳島神社の境内には、石原煉瓦工場の創業者である石原廣義氏の名前が刻まれた祠が祀られています。赤煉瓦と横黒煉瓦で作られた塀も残っており、煉瓦とともに発展した郷土の歴史を今に伝えています。
(森桂洋)