昔々と言っても、今より八〇年程前の事です。田川市伊田白鳥工業団地入口の交差点の近くに温泉が湧いていて、土地の人はボタ湯と呼んでいました。
この話は、私が十歳前後の子どもの頃(昭和十七・八年頃)の話で、その当時その場所を石場と言っていたような気がします、現在は紅葉で有名な三井寺(平等寺)の近くで、三井田川三坑のボタ山の裾の斜面に砂岩が露出しており、その断層より透明な熱めのお湯がこんこんと湧き出していました。あたり一面、温泉独特の硫黄の匂いが立ち込め、湧き出し口には畳一枚ぐらいの面積で板囲いをし、誰も入る事をせず、溢れた湯が斜面に沿って造られた数か所の湯船に流れ込んでいました。その中で多くの人達が和気あいあいに楽しんでいた風景が目に焼き付いております。
面白いことがあります。
当然今で言う混浴です、よく見ると一番上の湧口の下は見るからに強面(こわもて)の「おいちゃん」数名が、タオルを頭に乗せゆったり構え、下の方の湯船には、おばちゃん達が固まって何やら楽し気にわいわい話の花を咲かせており、子供たちは、上から下まで誰かまう事なく飛び回り、それは楽しい雰囲気の露天風呂でした。
それが後に、露天風呂のところに、男性風呂と女性風呂別々の立派な浴場が出来上がり、地域の人たちを喜ばせていたのですが、その後湯の温度がだんだん低くなり閉鎖せざるを得なくなりました。七十数年経過した現在、その施設は朽ちてはいますがそのまま残り、かろうじて当時の面影は偲べます。
しかし不思議ですよね、温泉と言えば普通火山活動の盛んなところと相場が決まっています、別府温泉や雲仙温泉の様に火山地帯なら分かりますが、田川には活火山はありません。
では何故かと言うと、実は石炭と水が関わっているらしいのです。
産炭地の田川にはボタ山が沢山あります。雨が降り、ボタ山の中の石炭が湿気をおびると、なんでそうなるか私は分かりませんが、石炭が発熱し自然発火をする事があるらしいのですが、その他にいろいろな要素が複雑に関わりあっているらしいのです。中には、山林火災の火が石炭に燃え移り、現在も三年に亘り燃え続けているボタ山が佐賀県の多久市にあります、現地の消防も初めは放水等で対処していたらしいのですが、効果がなく今もそのまま燃え続けているそうです。
この田川のボタ湯も泉源の上にあるボタ山に、何で火が入ったのか当時はくすぶりながら煙を上げ燃えているのを、私ははっきり覚えています。
以上の様ないい加減な説明で、火山のない田川に幻の如く発生したボタ湯の事、納得して頂けましたでしょうか。
今、当時の面影を求めて現地に立てば、かっての浴場の横に側溝があり、それをたどると地中より、こんこんと水温二〇℃ほどの綺麗な湧き水が流れ、鉄分を多く含んでいるせいか赤茶色の湯の華の様なものが付着して流れており、この水が暖かかったなら立派な温泉になるのにな~と思いながら帰路につきました。
今、土地の人は誇らしげに、温泉町と呼んでいます。