【関連地域】田川市
車窓からボタ山が見え始めると、「ふるさとに帰ってきた」と思うと耳にしたことがあります。私も筑豊・田川に住んで四〇年となり、筑豊で生まれ育ち、炭鉱を知る人たちが一様に抱くであろう感情が理解できるようになってきました。
ボタというのは石炭生成当初から混在していた不燃物や生成途中で浸入した鉱物類、石炭採掘のときに混入した石屑などの燃えない物質のことです。採掘された石炭にはボタが混じっているので、選炭場で石炭とボタとに選別されます。ボタ山はそのボタの集積場です。
明治初期にはボタは谷を埋めたりするのに使用されていましたが、明治後期から大正期にかけて本格的な深部採掘が行われ、石炭の採炭量が増加するにつれてボタの量も必然的に増加したため、筑豊の炭鉱では急増するボタの捨て場に狭小な場所にできるだけ多量のボタを捨てようと、高く積み上げる方式をとりました。それで、ピラミッド状の円錐形をしているのです。
内陸部に位置する筑豊炭田には大小約五百個ものボタ山がありました。かつては筑豊炭田の象徴とも言われましたが、埋め立てや道路の路盤材料に使用されたり、整地されて工場団地、住宅団地、グラウンドなどに生まれ変わっています。
現在ではその原型をとどめているのは、三井田川六坑(田川市)と住友忠隈炭鉱(飯塚市)の二つになっています。どちらも炭鉱の閉山から半世紀が過ぎ、風雨にさらされてしだいに頂上部が丸くなり、茶褐色の山肌は草木によって緑色を呈するなど自然の山のようになっています。炭鉱を知らない人には、地下から掘り出されたボタによって出来上がった山とはわかりづらくなりました。
(森本弘行)