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三菱による方城炭鉱の開削が始まったのは明治三五(一九〇二)年のことです。明治三七(一九〇四)年頃には引込線が、大正元(一九一二)年には発電所が完成し、着実に発展していきます。大正三(一九一四)年には日本の鉱山史上最大の死者六八七名(『方城町史』より)を数えた方城炭坑大爆発が起こりましたが、昭和三七(一九六二)年の閉山に至るまで、筑豊石炭産業の中心地の一つとして栄えました。
閉山後、煙突や竪坑櫓(たてこうやぐら)は取り壊されました。現在まで残る旧坑務工作室・機械工作室・坑内風呂などの赤煉瓦(れんが)建物群は、当時としては欧米の炭坑をモデルにしたモダンなもので、とても評判になったようです。
九州マクセル赤煉瓦記念館(旧称九州日立マクセル赤煉瓦記念館)は明治三七(一九〇四)年頃に建設されたと考えられます。平成九(一九九七)年、福岡県では三番目に国の登録文化財となった赤煉瓦建物です。赤煉瓦ネットワークという団体の作成した弐拾世紀(にじゅっせいき)日本赤煉瓦建築番付には前頭(まえがしら)として登場し、福岡だけでなく全国的にも有名な建物です。
かつては坑内に風を送る送風機室であったため、一部三階建てに見える背の高い風格のある外観で、筑豊の石炭産業関連施設の中では最も保存状態の良い建物の一つです。構造の特徴として天井の骨組には、ボルトやナットではなくリベットで接合されています。敷地内に残る数棟の赤煉瓦建物とともに往時の方城炭鉱を偲ばせる貴重な資料です。
現在、建物内部は一階が製品展示室、二階が応接スペースとして利用され、建物全体を蔦(つた)が覆い、季節の風情も楽しめます。
(井上勇也)