山の神 炭鉱(ヤマ)の神様

282 ~ 283

【関連地域】田川市 添田町 糸田町

【関連278ページ

やまんかみ

 炭鉱(炭坑)と書いて「ヤマ」とも読みます。

 ヤマで働くということは、森林里山の仕事ではなく、地下の石炭採掘の労働です。

 炭鉱の神様は土地の言葉で「やまのかみ」「やまんかみ」などともよばれていました。

 坑口や事務所の神棚に祀り、日々の作業の安全と産業の発展を祈っていましたが、石炭産業が盛んになるにつれて、もともと地域にあった神社にも劣らぬ広い境内に立派な社殿をもつ「山の神」神社も造られました。

大山祇神

 近代になり、三井・三菱などの財閥系資本の炭鉱の進出や、地元の大手炭鉱の出現により、田川地域をはじめ筑豊の地に多くの人びとがやって来ました。

 炭鉱の神様も、愛媛県大三島の大山祇(おおやまづみ)神社から招かれました。

 筑豊の炭鉱がこぞって招いた大山津見神(おおやまづみのかみ)は、日本のすべての山の神様とされています。

 祭神の大山津見神=大山祇神(別名、和多志大神、酒解神)は、日本神話に登場する神さまです。

 古事記には「大山津見神」。日本書紀では「大山祇神」と表記され、総本社とされる四国大三島では、神社の名を大山祇神社、祭神を大山積神としています。

明治鉱業株式会社豊国鉱業所大嶽神社  出典:『全国鉱山と大山祇神社』


山神さまの姿

 もともと、炭鉱社会では様々な神様が祀られ信仰されていました。三井田川鉱業所では、明治三三(一九〇〇)年頃、「山の神」をつくり、稲荷大明神を祭神としたといわれています。その後、大正十三(一九二四)年に採炭の現場では、四国の大山祇神社から、工作部門は風治八幡宮から、それぞれ勧請した神様を祭神としました。坑口に「山神宮」「大山祇宮」の神号を掲げて、坑内守護の神様として信仰しました。

 山を支配する神への崇拝は広く全国にみられる民間信仰です。女性の神さまのイメージが強い「山の神」ですが、神話に登場する山神は、もともと男神でした。

 女神、夫婦、父と娘とするところもあります。炭鉱社会の「山の神」も女性とする考えが多数のようです。

 山の神にかかわる様々なタブーがありますが、女性の入坑禁止など一部のタブーは炭鉱では例外でした。筑豊の炭鉱では、そのなりたちからも「女坑夫」の存在なくして石炭の採掘、運び出しはできなかったのです。

 山の神は、荒々しい怒り神の姿に変わることがありました。「非常」と呼ばれた炭鉱災害です。

山の神の祭り

 安全を願い鎮魂と祈りの空間であった炭鉱の「山の神」境内は、子供たちの遊び場であり、夏休みのラジオ体操の会場にもなりました。村の氏神様の神社と同様に「山の神」もそれぞれの炭鉱の創業記念日などで祭りが行われ賑わいました。

山神様の引っ越し

 炭鉱が閉山すると同時に、ほとんどの炭鉱の大山祇神は四国へお帰りいただきました。

 三井田川では昭和四四(一九六九)年に閉山後、それぞれ御魂をお返しする還御祭を行っています。

 なかには、地域の他の神社に合祀されている例もあります。川崎町の宮地神社境内には「山の神」が祀られています。

 近現代、百年におよぶ炭鉱の歴史の中で、信仰された「山の神」は石炭産業の終焉とともに消えてしまいました。

 現在、田川市石炭・歴史博物館に、「山の神」の祭壇と、英彦山神社の「産業安全御守護」の御札が展示されています。

(梅田一正)

三井二坑山の神  出典:『ありし日の三井田川炭鉱』


「山の神」の祭壇  提供:田川市石炭・歴史博物館