風治八幡宮(ふうじはちまんぐう)の神功皇后(じんぐうこうごう)伝説は御腰掛石(おこしかけいし)(磐座(いわくら))に合わせて神功皇后故事と地主の神の存在を示し、地名伝説として語られています。こうした磐座信仰は、古来より日本にある自然崇拝、つまり精霊崇拝やアニミズムという古い信仰のかたちをさします。磐座は岩でできた座席でそこに迎えられるのは、崇拝される神や霊などで、それらへの信仰を対象に巨石や岩を祀(まつ)ります。通常は人の立ち入らない遠い世界(奥深い山の頂、海の彼方の世界、天上界)にいる信仰対象を祀りの時にこの座席に迎えるわけです。磐座はあくまでも岩でできた座席で岩そのものが神ではなく、神を迎える神聖な場所として大切にされてきたのです。自然信仰は岩以外にも禁足地の鎮守の森や山に対する信仰、火や火山への信仰から、風雨・雷という気象現象まで様々です。
鎮守の森では「モリ」自体が神社をさし、杜(もり)「モリ」は鎮守の森を意味しています。神事において神を神体である磐座から降臨させ、その依り代と神威をもって祀りの中心としました。時代が下がり常に神がいるとされる神殿が常設されるに従って、信仰の対象は御神体から遠のき、神社そのものに移っていきましたが、元々は古からの信仰の場所に社を建立している場合がほとんどで、境内に依り代(よりしろ)として注連縄(しめなわ)が飾られた神木や霊石がそのまま存在する場合が多いのです。
このように見ていくと赤村大祖神社の御腰掛け石も同様の磐座信仰です。大任町下今任の御船岩や篠栗町猫峠の注連縄(しめなわ)をはられたご神体などに古代の人々は神の降臨を願い御幣に神の力を宿し、病気平癒や家内安全、子孫繁栄を願ったのでしょう。
こうした信仰は峠にもよく残っていました。百人一首で有名な菅原道真の和歌(古今和歌集)で峠をみてみましょう。
このたびは 幣(ぬさ)も取りあへず手向山(たむけやま)紅葉の錦 神のまにまに
この和歌の意味は
「今度の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした。手向けの山の紅葉を捧げますので、神よ御心のままにお受け取りください。」となります。菅原道真も急な旅で幣が用意できないとき、紅葉のひと枝を峠の神に手向けたのでしょう。現代の人々にはご先祖様たちが見ようとした神の姿、山の神、新羅国神、福智山や英彦山の神、峠、巨石、大風(風神)、雷(雷神)はもう見えなくなったのでしょうか。