コラム グライダーが飛んだ天台寺跡(鎮西公園)

288 ~ 288

【関連地域】田川市

 鎮西公園は、往時は隣接する香春町にかけての一帯を「鎮西原(ちんぜいばる)」と呼ばれ、古くは多くの謎を残す天台寺跡(上伊田廃寺)や、平安時代の末期、源頼朝・義経兄弟の叔父で鎮西八郎為朝の館跡など興味の尽きない場所です。この公園は大正八(一九一九)年、郡長湯浅史郎の呼びかけで郡立公園として決定し、設計者にかの朝倉文夫があたり大正十(一九二一)年に完成したものです。

 特に忘れられない話に滑空機(グライダー)の事があります。戦中の昭和十八(一九四三)年頃、時の文部省が日本各地の旧制中学に初級グライダーによる滑空訓練が推奨され、田川中学もそれに倣(なら)い購入したであると思われるのが、文部省式一型滑空機(プライマリーグライダー)です。このグライダーの滑空訓練を私は見たのです。興奮しました。機体の先端のフックに掛けられた二本のゴム索を左右から数名ずつが引っ張り、操縦士の「放せ」の号令で、杭に巻かれた尾索を離すとグライダーは滑りだし高度にして2~3メートルに達したかと思った次の瞬間もう着地。その間数秒。操縦士は「飛んだ瞬間大空へ飛び上がり無限の時間を感じ気が付けば着地をしていた。」と興奮して話をしていました。終戦を迎え時の占領軍の命によりグライダーは解体されたと思います。グライダー場整備のため貴重な天台寺跡の遺跡も残念な事に壊されました。かつての鎮西公園がよみがえり、あのグライダーの雄姿を再び拝みたいものです。

(是澤清一)

文部省式1型初級滑空機(プライマリーグライダー)


天台寺跡の礎石も埋められた  提供:重藤萬里コレクション