「英彦山・山の家」は、「日本近代モダニズム建築の父」と称されるアントニン・レーモンドの設計による「旧日鉄八幡製鐡所」の保養施設として、昭和三五(一九六〇)年に竣工しました。英彦山北西尾根の「尾登山」の中腹に屹立(きつりつ)しているかのような雄姿は荘厳な英彦山の風景とも調和しています。これは鉄筋コンクリート造の主架構に架け渡された木造の屋根構造と深く張り出した軒によって作り出される大屋根が日本の神社建築を彷彿とさせ、いわゆる「レーモンドスタイル」といわれるモダニズム様式が日本の伝統的建築の構成要素から生み出されたことの証といえます。屋根以外にも、「レーモンドスタイル」の要素は随所に見られ、スケール感のある空間や重厚さを有しながらも、外部につけられた螺旋階段やテラスなど様々な有機的素材の利用や細かなディティールにより、訪れる人々を温かく迎え入れてくれる建物に仕上がっています。内部にもコンクリート打ちっぱなしの豪快な空間の中央に作られた暖炉と煙突、対照的なエスニックな藤巻のフェンスやソファーなど彼のモダニズムが随所に見られます。
アントニン・レーモンド(一八八八~一九七六)は、チェコ生まれで、後にアメリカへ渡った建築家。大正八(一九一九)年、旧帝国ホテル(東京・大正一二年竣工)の設計監理のため、「近代建築三大巨匠」の一人、フランク・ロイド・ライトに伴って来日しました。彼は旧帝国ホテル竣工後も日本に留まり、登録有形文化財となっている東京女子大学本館をはじめ、多くのモダニズム近代建築を残し、日本建築の近代化に大きな影響を与えました。彼が起業した設計事務所では前川國男や吉村順三など戦後日本を代表する建築家を輩出しました。
戦後、高度経済成長期を迎え、昭和二五(一九五〇)年に英彦山が国定公園に選定されると、登山やキャンプなどのレクリェーション化とともに三菱化成工業が増了坊、日本セメント香春事務所が守静坊など、厚生保養のために宿坊を改築して山の家を開設しました。そして、この山の家が当時日本を代表する建築家レーモンドに依頼して造られた英彦山レクリェーションの終着点といえる建物です。当時、鷹巣原のスキー場を背景にまるでアルプスのロッジのように建つ景観は高度経済成長を支えた北九州・筑豊地域の象徴といえるものです。現在も「英彦山・山の家」は、築後六〇年を経てもなお、モダニズムの異彩を放っています。