最近ではほとんど見られなくなりましたが、各地域の集落では、年中行事のひとつとして時期を決めて役者を呼んだり、ムラの青年で踊りや芝居などの余興を行い村中で楽しんだものです。現在では、わずかに敬老会などにその名残が見られるのみでしょうか。
田川地域でも盛んに行われていたようで、各地に記録が残っています。福智町上野(あがの)地区では、毎年、大分県中津や遠賀郡の芦屋から役者を呼んで盛大に行われていたことが記録されるほか、各所で浄瑠璃、浪花節、座頭語り、ムラの青年による歌舞伎などが行われていました。
このなかで、福智町の上弁城・春田の両地区では、現在でも八月下旬に常設の舞台で演芸大会が行われています。毎年八月後半に行われる六夜(ろくや)さま(春田)・六夜待ち(上弁城)と呼ばれるもので、この行事は江戸時代から続くといわれています。上弁城では、「盆の二六日にはお月様が三つ、山の端から上がる」という伝えがあり、この三体の月を見るために池の堤にムシロを敷いて月の出を待ったといい、そのおりに将棋をしたり座頭歌などを聴いたのがはじまりといわれています。又、春田地区では、難病がはやり農作物も不作続きで村人が大変困っているとき、村の長老の夢枕に「村のほとりに神様がいるから、その神様を祀って盆の二六日の夜、みんなでお参りをせよ」とのお告げがあり、それを行うと難病も無くなり豊作になったといわれ、それから毎年お祭りをするようになったということです。双方の地区でやや起源が異なりますが、現在ではどちらもお祭りの中心は、夕方より始まる演芸会です。この日のために設けられた常設の舞台で演じられます。演目も豊富で、もちろんプロの役者さんも登場しますが、芸達者な地元の人達が、寸劇、歌い物、バンド演奏、祭囃子の披露など本職顔負けの演技を披露します。思わず笑いを誘う場面や、熱心に演じる子どもたち、カラオケで自慢の喉を披露する人たち、観客と演者が一体となって夏の終わりを楽しんでいます。その風景は懐かしい昭和の雰囲気そのままで、田川地方ではこの地域にしか残っておらず、長く続いてほしいサトの行事です。