屋根と開き(山笠の前後両側についた箱飾)を持ち、城のような破風(はふ)のある「屋形造り」と呼ばれる山笠は、北九州市の一部と筑豊地区に残る独自のスタイルだと言われています。博多祇園山笠の流れをくむ屋形山の最大の特徴は、戦国絵巻を表す勇壮な武者人形たち。福智町で三世代にわたり人形作りの伝統を守り続ける「富田人形」は、初代・富田八十六(やそろく)氏が一代で築き上げ、魂のこもる迫力の形相と今にも動き出しそうな力強い作風で町内外から広く愛されています。田川地区では福智町、糸田町で多くの山笠飾りを担い、県指定無形民俗文化財の黒崎祇園山笠も手掛けるなど、地域の人形師を代表する存在です。
高さ六mにも及ぶ土台に人形や装飾品を配置し、多くの工程を経て戦国時代を表現する山笠はまさに和の総合芸術。合戦の知識のほか、彫刻、絵画、書、さらには建築の要素も加わり、多彩な技術が求められます。初代・八十六氏は、町内に人形師がいなかったことから豊前市八屋の人形師に弟子入りし、手先の器用さとたゆまぬ情熱でその技術を習得。後に福智町弁城で開業し、現在まで続く富田人形の基盤を確立しました。現在では、二四歳にして三代目棟梁となった孫の能央氏がその伝統を継承しています。
富田人形の指導法は「目で盗む」職人気質のスタイル。早くに父と祖父を続けて亡くした能央氏は、残された人形と写真から制作の細部や山笠の配置に至る技術と魂を学び取りました。先代と比較される重圧の中、より細かい部品、モデルとなる武将の背景にまで気を配り、現代的な感性と確かな技術で昔からの顧客にも好評を博しています。また合戦を忠実に再現するため時代考証を重ね、「長篠の戦い」に代表される鉄砲を持つ人形をはじめて制作するなど、前例にとらわれない柔軟で斬新な感覚で新たな作風を模索しています。
地域をつなぐ伝統行事である祭り、その主役ともいえる山笠制作を先導してきた富田人形。常に時代と向き合い変化を重ねながら、伝統と技術を守り続けています。