田川地方の巡礼文化 Ⅰ 田川新四国西部順拝と金仏さん

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【関連地域】田川市 香春町 添田町 糸田町 川崎町 大任町 赤村 福智町

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 お遍路は同行二人といい、お大師さんと一緒に巡礼するというスタイルをとります。菅笠(すげがさ)、白衣、輪袈裟(わげさ)、金剛杖(弘法大師の化身)を持ち回りますが、近年はアウトドア感覚で歩きやすい運動靴でまわられる方が多いようです。もともと地域でまつられていた観音様、お薬師様、不動様、お釈迦様、お地蔵様とお大師様の札所が一つになった例が多く、田川地域の信仰と文化をひもとく上で大切なものだといえるでしょう。このように札所のご本尊も様々ですからご本尊に敬意をはらい、順拝団では鐘打ちとご本尊に合わせてご詠歌があげられます。

 また、三井田川鉱業所でも慰霊のために、明治三六(一九〇三)年に殉職者の供養塔仏像が建立されました。その後、三井は大正十(一九二一)年に、伊田と後藤寺の境付近の地蔵ケ丘に整備された公園へ、大きな青銅製仏像「金仏(かなぶつ)さん」を建立しました。翌年、坑夫たちの願いで通称三井寺(みついでら)(真言宗御室派平等寺)を中心に、十輪院(註)からの支援で三井田川鉱業所付近に仏像が建立安置され、「三井田川新四国八十八ヶ所」が定められましたが、三井田川鉱業所閉山と共に途絶えてしまいました。

註:十輪院は「順拝」と称する

三井寺金仏さん(田川市伊田)


 このように田川地方は観音信仰、大師信仰、だけでなく山伏の修験道など、順拝文化が根付きやすい地域といえるでしょう。炭坑でなくなった方の慰霊も多かったこともあり、三井田川鉱業所だけでなく、峰地炭坑や島廻炭坑など、各地の中小炭坑にも札所がまつられてきました。

 近年、お世話をされていた方の高齢化や地域社会の変化が進み、札所や観音堂などが急速に失われつつあります。昔から町の中にひっそりと残る札所を探してみませんか。

田川四国西部順拝平成三〇年春の経路

(一日目)成道寺―石場―旭町―白鳥町―番田町―如意堂―松原団地―十輪協会―定林寺―桜町―宮尾―太光寺―上本町―丸山公園観音密寺―糸田観音寺。

(二日目)明寿苑―糒―糸田宮床―法釈寺―最勝院―打越―金田―光林寺―福智町―南木―糸田原―遍照寺。

(三日目)伊加利田中―赤子―安永―島巡―本町―三井朝日町―森安―馬頭観音―弓削田宮ノ下―西福寺―若咲観音―鼡ケ池―角銅原。

(四日目)地蔵院―峯地一坊薬師堂―中元寺薬師堂―安真木―外木城―内木城―金国―位登―稲倉―永井―東川崎―野田―見地薬師堂―落合―英彦山宿。

(五日目)奉幣殿―玉屋神社―添田勧游舎。

田川四国西部順拝令和元年秋の経路

(一日目)成道寺―石場―旭町―白鳥町―番田町―如意堂―松原団地―十輪教会―定林寺―桜町―宮尾―太光寺―上本町―観音密寺。

(二日目)川宮明寿苑―糒―糸田宮床―金田―光林寺―神崎―南木―遍照寺―法釈寺―川宮観音堂―鼡ケ池―見立―西福寺。

(三日目)地蔵院―峯地―中元寺薬師堂―安真木―外木城―内木城―金国―位登―稲倉―森安―東川崎―川崎本町―三井朝日町大師堂。

(四日目)安永大師堂―伊加利―田中観音堂―十輪院。

※経路は途中省略

※古写真は大正十二(一九二三)

(中野直毅)

田川新四国第4番札所(田川市平松町)

定林寺にある伝享保飢饉供養塔


田川新四国第61番札所

内木城観音堂(川崎町安真木)


田川新四国第88番札所 岩峠(田川市平松町)