田川の文学碑 Ⅱ 田川郡の文学碑

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【関連地域】添田町 大任町 赤村

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英彦山

【一】所歌の碑(英彦山青年の家前庭)

   英彦に立てば 福岡県立青年の家所歌

    作詩 栗原一登  作曲 木村満

   彼之山もかの河も 街も我が

   ふる里の産土 英彦に立てば

   青春の夢は はろばろ

   集うは楽し 日の子の山よ

   語らん君と 明日の日を

     壬戌孟秋  八十七叟犀水

【二】松口月城詩碑(高住神社参道)

    英彦山之詩

   巨杉老柏吼天風 巨杉老柏 天風に吼ゆる

   路入白雲紅葉中 路は入る白雲 紅葉の中

   四面峯巒皆跪伏 四面の峯巒 皆跪伏す

   此山真是鎮西雄 此の山は真に是 鎮西の雄なり

     松口月城作 九十一歳

【三】松養風袋子句碑(高住神社参道)

   橡の実の落ちつくしたる静かさに 風袋子

   (裏)本名榮系 昭和十二年 神宮皇学館を卒業後 橿原神宮(奈良)諏訪神社(長崎)多賀大社(滋賀)などに奉職 昭和二十二年英彦山に帰り高住神社宮司となる

   その後英彦山ゆかりの俳人杉田久女の句碑を建立して顕彰するとともに 自らも俳句を学び二十年間に亘って橡の実句会を主催するなど俳句の振興につとめた

    平成元年九月二十四日 橡の実句会 建立

松養風袋子句碑 高住神社参道


【四】杉田久女句碑(高住神社境内)

   橡の実のつぶて颪や豊前坊   久女

   (裏)昌子書

【五】小坂螢泉句碑(高住神社)

   霧冷はしのび寄るもの豊前坊  蛍泉

【六】山頭火句碑(田川農林高校演習林)

   すべってころんで山がひっそり 山頭火

【七】田川郡添田町英彦山(英彦山野営場)

   すべってころんで山がひっそり 山頭火

【八】児玉南草句碑(英彦山野営場)

   音のして次の音待つ冬の山   南草

【九】高千穂峰女句碑(英彦山野営場)

   鳥翔つや弧もおぼろなる嶺の涯 峰女

【十】青木月斗句碑(花見ケ岩)

   三千の坊の跡なる植田哉    月斗

(裏)同人社主催昭和十二年六月念七

     英彦山九州俳句大会

   月斗先生吟詠句

   昭和卅九年(一九六四)十一月吉日建碑

   発起者 後援者 協賛者 世話人

※基礎に石工名が刻まれている。

青木月斗句碑 英彦山花見ケ岩


【十一】高浜年尾句碑(旧六助旅館跡上)

    石垣はみな坊址や蔦紅葉   年尾

【十二】廣瀬淡窓詩碑(奉幣殿下)

    彦山高處望氤氳 彦山高き処を望みて氤氳(いんうん)たり

    木末楼臺晴始分 木末の楼台 晴れ始めて分かる

    日暮天壇人去尽 日暮れて天壇 人去り尽くす

    香烟散作数峯雲 香烟は散んじて数峰の雲となる

【十三】杉田久女句碑(奉幣殿下)

    谺して山ほととぎすほしいまま 久女

【十四】阪正臣歌碑(奉幣殿上)

    昭和大嘗會主基方御屏風彦山歌

    おほきみのみいつおもほゆゆきてりて

    あまそそりたつひこのかみやま

      御歌所寄人従四位阪正臣謹詠進

英彦山大権現境内

【一】大場聖歌碑(滝の坊英彦山大権現境内)

   風花は散りて流水に従う

    流水は山野を潤し大海に帰る 桂風書

【二】高千穂峰女句碑(滝の坊英彦山大権現境内)

   権現のえにしにつどふ岩もみち 峰女

   (裏)高千穂峰女々史八十七歳ハ英彦山第三十一代御座主高千穂有英殿の御母堂にして俳人なり

【三】平家物語の碑(滝の坊英彦山大権現境内)

   祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり

   娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理を現す

   奢れる人も久しからず 只春の夜の夢の如し

     平家物語抄 戊辰春  桂風書

【四】大場聖歌碑(滝の坊英彦山大権現境内)

   いにしえの香春の里をしのびつつ

     文化の歴史永久にとどめん  聖

【五】風雪の碑(滝の坊英彦山大権現境内)

    田川健児の歌

   北九州の天高く

   そそるや英彦巍峩として

   近く香春も聳えたり

   山霊凝りて人となり

   ここに獅子吼す一千の

   田川健児の声を聞け

添田町

【一】小川孤泉句碑(毛谷村六肋朱論介墓境内)

   五月晴秘めし大願遍路笠    孤泉

【二】松尾芭蕉句碑(添田町落合杖立峠)

   蛤のふた見に別れ行秋ぞ

【三】宮城光子歌碑(添田町庄深正寺前)

   彦の嶺に登ると行きし吾子達の

     帰るころかも雨となりにし 光子

【四】芭蕉句碑(添田町中央公民館前庭)

   枯枝に烏のとまりけり秋の暮 芭蕉翁

【五】鎌谷重弘川柳碑(添田町岩石城途中)

   とび入りも酔うて花見の輪が太る 白紙

【六】岩石城懐古詩碑(岩石城入口)〈碑文省略〉

赤村

【一】俵都川句碑(赤村上赤 俵秀郎邸)

美しき夜の明ぶりや草の露

  秋城菴都川翁塚

【二】七十一番職人歌合歌碑(赤村役場前)

   如何にせむあふことかたきゆすの木の

   われにひかれぬ人のこゝころを 万葉集(註)

註:歌碑の最後に「万葉集」と書かれているが、実はこの歌は「七十一番職人歌合」の四十二番に所収されている歌である。

【三】瓜生敏一句碑(赤村油須原駅前)

   雲は流れるまゝに流れ

   天下の無名氏

         敏一

瓜生敏一句碑 赤村油須原駅前


大任町

【一】後藤是山句碑(柔軟寺境内)

悪人の末座をけがし蚊遣香  是山

【二】宇都宮久遠洞句碑(柔軟寺境内)

尽十方無碍光如来桐一葉  久遠洞

【三】松本治一郎先生頌徳之碑

   (碑面)松本治一郎先生頌徳之碑

   (台座)植えてみよ花の育たぬ里じゃない

   (裏面)一九七六年八月吉日建立

松本治一郎先生頌徳之碑 大任町島台


【四】作者不祥(十輪院境内)

   誰が願ひ地蔵のくびに藤の花

   (左側)次谷峰雲書

【五】金本冬雲句碑(大行事木村直喜邸)

   水音の まくらに落つる 寒さ哉

   (裏)昭和四十二年七月   冬雲

金本冬雲句碑 大行事 木村直喜邸


【六】作者不詳(大行事木村直喜邸)

   余生なほつとめん哉 冬うらヽ

川崎町

【一】阿蘇黎白句碑(小松邸)

   花ざくろ日おちて雪の掃かれあり 黎白

香春町

【一】神暦碑(現人神社境内)

   神歴 烈彼角鹿破滄溟萬里之濤

    (烈たり彼の角鹿 滄溟万里の濤を破る)

   穆此現人降蜻蛉千秋之福

    (穆たり此の現人 蜻蛉千秋の福を降す)

   (横)社掌 林盛種

【二】高橋種之歌碑(旧採銅所小学校校庭)

   武士の太刀うちかへて荒し野に

    鍬の柄とりて國に報ひむ 高橋種之

【三】万葉歌碑(呉公民館前)

   斯くのみし恋ひし渡ればたまきはる

      命もわれは惜しけくもなし

         抜気大首 万葉集巻九

【四】万葉歌碑(鏡山 石鍋口)

   石上布留の早稲田の穂にはいでず

     心のうちに恋ふるこの頃

          抜氣大首 万葉集巻九

【五】万葉歌碑(鏡山 四王寺入口)

   豊國の鏡の山の石戸たて

     隠りにけらし待てど来まさず

         手持女王 万葉集巻三

【六】風土記碑(鏡山 木戸口)

   豊前國風土記鏡山郷

【七】万葉歌碑(鏡山 伽羅松前)

   王の親魄逢へや豊国の

    鏡の山を宮と定むる

        手持女王

        万葉集巻三

鏡山 伽羅松前


【八】万葉歌碑(鏡山神社参道際)

   梓弓引き豊国の鏡山

    見ず久ならば恋しけむかも

       萬葉集巻三 按作村主益人

【九】万葉歌碑(河内王陵墓手前)

   石戸破る

    手力もがも手弱き

    女にしあれば

      術の知らなく

       手持女王

        万葉集巻三

【十】石徳五訓の碑(高座石寺境内)

   一、奇形怪状無言にして

     能く言うものは石なり

   二、沈着にして氣精永く土中に

     埋れて大地の骨と成すものは石なり

   三、雨に打たれて風にさらされ寒熱に

     たえて悠然動ぜざるは石なり

     (後略)

    永平泰禪九十四翁

     高座石二十世靖恭寫之

【十一】小坂螢泉句碑(神宮院境内)

    二の岳のかぶさる坊の虫時雨  蛍泉

【十二】杉田久女句碑(神宮院境内)

    梅林のそヾろ歩きや筧きく

    探梅や暮れて嶮しき香春嶽

                杉田久女

【十三】山頭火句碑(高座石寺境内)

    そこもこヽも岩の上には仏さま 山頭火

【十四】万葉歌碑(須佐神社境内)

   豊國の香春は我家紐の児に

   いつがり居れば香春は我家

          抜気大首 万葉集巻九

【十五】雲華上人詩碑(旧香春中学校前庭)

  賀春嶽 山家求法詔 山家(さんか)法を求めて詔(みことのり)し

      絶海入皇唐 絶海皇唐に入らんとす

      維嶽神霊験 維岳(いがく)神霊を験(あら)はし

      果然時現光 果然時に光を現はす

        雲華上人

【十六】西村山扇句碑(魚町 西村邸)

    一の岳二の岳楠の若葉哉   山扇

    待望の句碑成りうれし月の秋 王樹

【十七】岡崎林平歌碑(旧香春小学校校庭)

    香春岳をそがひに清瀬の川に臨む

     香春は古き細き長き町 岡崎林平

【十八】風土記碑(香春神社二の段)

    東側

 (表)「豊前國風土記」逸文

    昔者新羅國神自度到來住此河原便即名曰 鹿春神      忠臣 著

 (裏)香春神社略縁起(碑文省略)

【十九】里見義歌碑(香春神社西廻廊下の段、西側)

 (表)庭の千草〔菊〕(歌詞省略)

    埴生の宿(歌詞省略)

    里見義(ただし)(歌詞省略)

【二〇】遭難碑(香春一ノ岳小岩ヶ鼻ゲレンデ下)

    悠久の山懐にかえりし

    中畑長幸君こゝに眠る

    昭和三十二年十二月一日遭難

    昭和三十三年六月一日建之古河大峰山岳部 檀幸夫

    外部員一同

遭難碑 香春一ノ岳 小岩鼻ゲレンデ


【二一】豊前国風土記碑(香春町役場前)

香春郷(碑文省略)

【二二】森鴎外句碑(香春町役場前)

    雨に啼く鳥は何鳥若葉蔭  森鴎外

【二三】中島哀浪歌(旧勾金小学校校庭)

    香春嶽香春嶽とぞいひて仰ぐ

     いにしへびとの歌のなかの山 中島哀浪

【二四】清水夏子句碑(湯山 清水邸)

    田を這いてとかげの如く五十年 夏子作

【二五】山本空外詩碑(湯山 光願寺前庭)

    一月浮萬水無嫌水浅深 空外八十四

【二六】村上佛山詩碑(旧勾金中学校校庭)

    湯山亭即事

    涼雨洗黄昏 涼雨黄昏(たそがれ)を洗ひ

    驟晴無寸雲 驟晴(しゆうせい)寸雲無し

    竹梢新月掛 竹梢(ちくしよう)に新月掛かる

    殘滴尚紛紛 残滴(ざんてき)尚紛紛(ふんぷん)たり

【二七】山頭火句碑(清瀬川山頭火遊歩道)

    ふりかへれば香春があった 山頭火

【二八】山頭火句碑(清瀬川山頭火遊歩道)

    枯木かこんで津波蕗の花  山頭火

【二九】山頭火句碑(清瀬川山頭火遊歩道)

    鳴きかわしては寄りそう家鴨  山頭火

【三〇】山頭火句碑(清瀬川山頭火遊歩道)

    香春見あけては虱とってゐる  山頭火

    すくひあげられて 小魚かゞがやく 山頭火

     平成六年十月吉日

     香春町 養父芳信建之

       本多青雲 書

山頭火句碑 清瀬川 山頭火遊歩道


【三一】木村緑平句碑(清瀬川山頭火遊歩道)

    香春へ日が出る雀の子みんな東に向く 緑平

【三二】山頭火句碑(清瀬川山頭火遊歩道)

    谺谺(こだまこだま)するほがらか     山頭火

【三三】山頭火句碑(清瀬川山頭火遊歩道)

    香春をまともに乞ひ歩く  山頭火

【三四】山頭火句碑(清瀬川山頭火遊歩道)

    みすぼらしい影とおもふに木の葉ふる 山頭火

【三五】山頭火句碑(清瀬川山頭火遊歩道内)

    香春晴れざまへ鳥がとぶ  山頭火

【三六】大場恵照句碑(旧中津原小学校校庭)

秋晴れの三岳偉容正しうす  大場恵照

【三七】一本松の歌(一本松 園田邸)

       あゝ一本松

    一、平和な夜明け一本松

      大坂山は朝ぼらけ

      遠くに霞む英彦山

      鉱山や工場に田や畑に

      笑顔交して人は行く

     (二、三、は省略)

【三八】万葉歌碑(紫竹原 貴船神社境内)

    神功皇后御遺跡

    妹之髪上口竹葉野之放駒蕩去家良思不合思者

【三九】開田梅丘句碑(紫竹原 開田邸)

   帰る家は夕日の岡や薬ほり

【四〇】校歌碑(旧田川農林高校跡)

     校歌

    鎮西原に為朝の

    居城の跡をしのびつつ

    偉人の意気に燃えよとや

    わが学舎はそそりたつ

    (二、三は省略)

【四一】螢雪詩碑(田川高校校庭)

     蛍雪の詩

    冬の陽暮に君と我

    今夜学窓積雪に

    寒灯こいし誰が知る

    あゝ蛍雪の功なりて

    吾が道開く玉杯に

【四二】田中常憲歌碑(田川高校校庭)

  水平線にやをら突起をつくりつつ

   富士より高くなれよとぞおもふ 常憲

【四三】田中常憲歌碑(田川高校校庭)

  目をあげて人間の子よ空に聴け

    雲雀の歌の高き調べを  白茅

【四四】蒼鷹の碑(田川高校校庭)

蒼鷹はるか夢に飛べ 加藤正之謹書

糸田町

【一】山頭火・緑平句碑(糸田町宮床 鉱長坂)

   雨ふる子のそばに親の雀が来てゐる 緑平

   枝をさしのべてゐる冬木   山頭火

【二】山頭火・緑平句碑(糸田町伯林寺境内)

   雀生れてゐる花の下を掃く   緑平

   逢ひたいボタ山が見えだした 山頭火

【三】山頭火緑平句碑(糸田小学校前)

   かくれん坊の雀の尻が草から出てゐる  緑平

   ふりかえるボタ山ボタン雪ふりしきる 山頭火

【四】山頭火・緑平句碑(糸田町楠ヶ迫)

   子雀の甘えてゐる聲のしてゐる朝月 緑平

   ボタ山ならんでゐる陽がぬくい  山頭火

【五】山頭火句レリーフ(糸田町宮床 皆添橋)

   逢ひたい捨炭山が見えだした 山頭火

【六】山頭火・緑平句碑(糸田町宮床 木村緑平旧居付近)

   聴診器耳からはづし風の音きいてゐる 緑平

   逢うて別れてさくらのつぼみ    山頭火


山頭火・緑平句碑 糸田町宮床


【七】高橋しげを句碑(観世苑前庭)

   坑底を

    去年となりゆく

      水流れ        しげを

高橋しげを句碑観世苑前庭


【八】藤浦一十、文子句碑(糸田町藤浦邸)

蛍火に柿の葉濡れてをりにけり 文子

福智町方城

【一】明治天皇御製碑(福智町伊方)

   世とゝもに語りつたへよくにのため

         命をすてし人のいさをを

【二】日永田桜ん坊句碑(福智町伊方山の神)

   蝉捕りの来て蝉よりも騒がしく 桜ん坊

【三】西山ひさし句碑(福智町山の神)

   山の神在りたる跡や石蕗二輪 ひさし

【四】句佛上人、山頭火句碑(正蓮寺境内)

   落花ながむる子は佛       句佛

   春風の扉ひらけば南無阿彌陀仏 山頭火

福智町弁城

【一】白石天留翁句(定禅寺境内)

   日に酔ひし如き蝶来る籾蓆  天留翁

【二】定禅寺碑(福智町弁城)

    初夏景観君識否 初夏の景観君識るや否や(台座)

    白雲山定禅寺迎接ノ藤ハ/是レ天然記念物ニシテ/樹齢凡ソ五百年/ソノ根回リ二、八米/枝条ノ拡ガリ四百平方米/幾万垂ノ開花ハ/実ニ天下ノ偉観ナリ

福智町金田

【一】山頭火句碑(金田町 宝見橋南側)

   ラヂオでつながって故郷の唄 山頭火

【二】森鴎外文学碑(金田町頴田町境)

  鹿毛ノ馬峠(現在撤去)

   森鴎外文学碑(上に横向き)

    明治三十二年七月、小倉第十二師団軍医部長として赴任中の森林太郎(鴎外)が軍の演習の為、小倉―香春―金田駅を経て当地を通過しました。

     鴎外小倉日記より

   五日、雨、金田を発し、人見神崎を経て鹿毛ノ馬に致り演習す、/神崎の西に峻坂あり駄馬数頭躓き倒る

【三】森鴎外文学碑(金田駅前)

   明治時代第十二師団(小倉)/軍医部長として赴任中の/森林太郎が軍の演習の為/香春を経て当地に来て宿泊/した所です

     鴎外の小倉日記より

   明治三十四年七月四日、雨…夜金田停車場/の旅店青柳に舎る鴎外全集第三十五巻

福智町上野

【一】緒方句狂句碑(興国寺山門前)

   行く我を

    囚へ落葉は

     馳け巡る

        句狂

緒方句狂句碑 興国寺山門前


【二】河村光陽先生記念碑(物産館前庭)

    童謡一路

   かもめの水兵さん 武内俊子作詞

            河村光陽作曲

   (五線譜に)かもめのすいへいさん

         ならんだすいへいおさん

   (以上横書き)

  (裏)河村光陽先生の作曲になる童謡は日本全国/の子供たちにあまねく愛唱され、其のメロデ/ーは若き生命の清く高き情操を育む源泉/である。

   河村先生はこの地、山紫水明の上野に生ま/れ其の名声は万古不易であり、われらが郷土の/永遠の誇りである。

   こゝに先生の楽譜を刻み小碑を建立し集い/来る若人たちの心の糧にしたい念願である

【三】池田紫水句碑(福智中宮境内)

月の磴のぼる案内の影法師   紫水

【四】河村光陽先生生誕地記念之碑(福智下宮社)

  (右)河村光陽直則先生の記念碑建立の辞

     友人麻生繁樹敬白(撰文省略)

  (左)記念碑寄贈者麻生繁樹先生について

     故直則の長女河村順子(撰文省略)

【五】渡智岳句碑(福智下宮社)

   君まして神まして民長閑なり 智岳詠書

【六】鑛害復舊顕彰碑(福智町上野堀田)

    讃浦田鷹彦氏 芦馬鷹洲作

   居民失稔困窮時 居民稔りを失ひ 困窮の時

   俊傑身抛令聞馳 俊傑身を抛って 令聞を馳せる

   渓水冷冷甦緑翠 渓水冷冷 緑翠を甦らせる

   偉功赫赫燦豊碑 偉功赫々 豊碑に燦たり   無堂書

(辻幸春)