英彦山山伏の料理で、江戸時代以前から食卓に上ったのが豆腐です。英彦山最大の祭礼「松会(まつえ)」では遠路遥々(はるばる)参詣した檀家に英彦山の名物でもてなしました。この祭礼の内容を記録した『宣度祭礼次第』には五の膳でもてなす饗応膳が並び、その中に豆腐があり、精進料理としての饗応膳では豆腐を多彩に変化させて料理にして振舞われました。今でも「彦講」のなごりがある英彦山鷹巣高原ホテルでは佐賀の小城(おぎ)などから参詣者が訪れ、直会(なおらい)の後、英彦山神宮上宮へ参詣をする慣わしとなっています。この膳で饗応のもてなしとして鯛と豆腐、タケノコ、昆布、こんにゃくなどを煮しめた「おひら」が振舞われます。
明治以降も豆腐は英彦山町で多く製造販売されていました。今では伊藤卓也さんの豆腐工房一軒のみが英彦山豆腐の味を守っています。前日より十二~十三℃の英彦山の湧水に一〇時間ほど漬けた大豆をすりつぶし、大釜で焚き、搾機で豆乳を絞ります。それに凝固剤のにがりなど加えて、木綿布を敷いた型枠に入れて重しを乗せ四〇~五〇分固めて切り分ける、このような昔からの製法でできた豆腐を英彦山内のホテルやなじみの顧客などに販売を続けています。豆乳の甘みと大豆の香りを引き出す英彦山の清水、英彦山ならではの豆腐をぜひ味わってもらいたいものです。
夏の冷やっこ、冬の湯豆腐、どちらにも欠かせない薬味といえば「柚ごしょう」、今や日本全国で食べられる食材ですが、英彦山が発祥とも言われています。柚子も「こしょう」となる唐辛子も山伏は薬として調合し、檀家に配っていたことから「柚ごしょう」も山伏が作ったといわれています。今から七〇年以上前に添田町落合「柚乃香本舗」の初代林光美さんが開発したものが元祖です。明治以降も英彦山の家々には柚子の木が植えられ、薬や保存食に使用していて、これをヒントに熟す前の緑色の柚子と唐辛子を使った「柚ごしょう」を考案、英彦山で営んでいた食堂「紅葉屋」で客に出したところ好評で、昭和二五(一九五〇)年に「柚乃香」として売り出しました。特に柚子の形をした陶製容器に入ったものは英彦山参りの土産として家庭の食卓には必ずと言っていいほどありました。
このように好評を得ていた「柚ごしょう」を聞きつけた第三次南極観測隊からの提供要請を受けて越冬隊にも送られました。「南極物語」タロ、ジロ奇跡の生還物語の傍らに「柚乃香」の柚ごしょうがあったことに感慨深いものがあります。