田川地域には、南部に聳(そび)える英彦山を源とするいくつかの川があります。その中で彦山川は、地域を北へと縦断し流域でいくつかの川と合流して本流の遠賀川へと注ぎます。この流域が私たちが暮らしているふるさと田川です。近代になって筑豊の各地域とともに石炭産業により都市化しましたが、市町村名に田や川が着いていることからわかるように、農業をなりわいとした人々が暮らしてきた地域です。そのため、料理も野菜を中心としています。
そのなかで、昔を思い出して、伝えたい料理をいくつか選んでみました。日常、年中行事、祭り、冠婚葬祭と、生活の場面によって料理はたくさんあり、紹介するのが難しいほどです。日常のものとしては、ぬか床を使ったぬか漬けでしょうか。小倉藩主の小笠原忠真(ただざね)が前領の信濃国松本(信州)より伝えたと言われ、領地内の田川にも広まっています。特に五月の頃にできる山椒(さんしょう)の実を入れると風味がよく、このぬかみそを使って鯖やいわしを煮付けたぬかみそ煮(ぬか炊き)も醤油とぬかみその独特の味に食が進みます。
行事の料理としては、野菜のお煮しめでしょうか。最近は、がめ煮とよぶことも多いようですが、この地方では、「にごみ」と呼び、骨付きのかしわと小さく切った野菜を煮込んでいます。同様に香春町の昆布締めなどもあります。また、下関が近いこともあり、くじら料理も食されます。通常は塩鯨や煮込み料理で使われていましたが、お祭りの時には、ベーコンやおばいけ(鯨の身と尾の間の部分)の味噌和えなどが食卓を飾ったことが懐かしく思われます。今は忘れられていますが、赤村では塩抜きくじらで炊いた「クジラめし」があったそうです。正月の雑煮は、昆布や鰹のだしを使ったおすましに、別茹でした丸餅を入れ、大根、人参、椎茸、青菜、かまぼこ、かしわ等を飾り付けたものが、この地域では一般的なものでしょう。五月の神幸祭では、バラ寿司におこわ又は赤飯、鶏肉の入った野菜の煮込み、イカとしか(山うど)の木の芽和え、タケノコとコンニャクの煮込み、ホタルイカの煮付け、ホーレン草の白和えなどが作られました。また、お盆には、たらを昆布で甘辛く煮込んだ料理が作られ、ご先祖様には盆団子(だご)を供えました。
炭坑時代の名残りとして、とんちゃん(ホルモン)がよく知られていますね。鍋が無いのでたまたまあったセメント袋の上で調理したのが始まりと言われています。幼い頃、ジンギスカン鍋で焼いた記憶もあるのですが、よく食べたのはタレで野菜と煮込んだもので、懐かしい味が思い出されます。