映画と田川と言えばまず思い浮かぶのは「青春の門」ではないでしょうか。改めて説明する必要もないほど有名な作品で、五木寛之氏の同名の小説を映画化したものです。昭和五〇(一九七五)年に吉永小百合、仲代達矢、小林旭、田中健、大竹しのぶ、関根恵子、小沢昭一、河原崎長一郎などの大物スターが出演した作品が印象に残っている方が多いと思います。筑豊各地でロケは行われましたが、常に香春岳がバックに写り郷土の人間にとっては誇りともいえる作品でした。
現在義務教育学校の思永館(しえいかん)となっている敷地には香春町立勾金(まがりかね)中学校があり、背後にそびえていた第二豊州炭鉱のボタ山がロケ地に選ばれました。このボタ山は閉山後、数年が経っており山肌には雑草が茂っていたため、草刈りなどの清掃を行いロケが行われました。当時の中学生にとっても物珍しさからとても授業を受ける雰囲気にはなれず、先生ともども撮影を見学した記憶があります。
この後、「青春の門」のテレビドラマも制作され、香春神社などが登場しブラウン管の中に映る故郷の景色に心高ぶらせたものです。
そして、昭和二〇年代を知る人にとって、今でも語り草になっている映画が「龍虎傳(りゅうこでん)」ではないでしょうか。
「無法松の一生」の作者 岩下俊作原作の小説で、川船頭と鉄道工事業者の対立を描いたものです。もちろん小説の世界ではあるものの、当時の時代背景を反映させよくできた作品と思われます。主演は当時日本を代表するスターである片岡千恵蔵、嵐寛壽郎(あらしかんじゅうろう)で、筑豊中が熱気に包まれたと当時を振り返る人は熱っぽく語るほどの出来事だったようです。
映画のストーリーは割愛しますが、映画の中に登場する香春岳はもちろん、直方多賀神社の神幸祭、香春町神宮院と大イチョウ、鏡山大神社の丘など確認できます。圧巻は風治八幡宮の川渡り神幸祭(じんこうさい)と香春駅の映像でしょう。神幸祭のヤマで指揮する千恵蔵と嵐寛(あらかん)、ちょうどその時に行われている鉄道の開業式の舞台は香春駅で、とても立派な杉の門が作られ、香春駅をバックに発車する一番列車が登場してきます。片岡千恵蔵演じる筧(かけい)富三は、親分の仇である永沼(嵐寛壽郎)と決闘を申し込みますが鉄道開通式まで待ってほしいという永沼の願いを承諾します。舞台は伊田の神幸祭から香春岳をバックにした荒地、現在の夏吉付近に移ります。お互いピストルを手にしますが、恩讐を越えた二人の友情から二人とも空に向けて発砲、仲良く手打ちとなります。この後、二人は開業した鉄道に乗り走る機関車の先頭に仁王立ちになる千恵蔵とその機関車が牽(ひ)く貨物の荷台で満足そうに微笑む嵐寛というシーンでクライマックスを迎えます。
このシーンは香春のセメント工場から勾金駅を結ぶ夏吉線と思われ、現在は道路となっています。
なお、川渡り神幸祭はこのロケのために特別に行われたと伝えられています。本来の神幸祭は初夏の五月ですが、神宮院のシーンではイチョウの木は落葉しています。また当時を知る人は十一月頃ではなかったろうかという話も聞きました。
鉄道開業式といい、神幸祭といい、終戦直後の混乱期にこのような大規模なロケに協力した田川の人々のエネルギーに感心させられます。当時の日本は占領軍(GHQ)の管理下にありチャンバラ映画は禁止されていた時代でした。そのため、乱闘シーンは棒を使っての立ち回り、最後の決闘はピストルというまるで西部劇のような展開に時代を感じることができる興味深い作品です。
また、松本清張の歴史小説に『西海道談綺(さいかいどうだんき)』という作品があります。これは江戸時代が舞台で九州にある隠し金山をめぐってのストーリーです。ロケ地は大分県が中心で豊後大野市の普光寺の摩崖仏(まがいぶつ)やくじゅう連山などで直接田川は出てきませんが、最後に隠し金山で私腹を肥やす悪の勢力と対決し、一掃するのが英彦山修験者という展開になっています。たくさんの英彦山山伏がほら貝を吹き、丘の上から駆け下り悪を蹴散らすシーンはまさに血沸き肉躍るの感があります。
これら映画の他にも平成二二(二〇一〇)年に公開され、当時の田川市長が医師として登場する「信さん・炭坑町のセレナーデ」、近年では「夏、至るころ」なども撮影されています。
平成二九(二〇一七)年には田川市役所内に「たがわフィルムコミッション」が設立され、映画の撮影はもちろんCMのロケ地なども含め積極的な誘致政策を展開し、今後が期待されています。