盆・正月は日本の二大年中行事で、盆は祖先の霊を迎えてまつる行事です。盆の行事としては、墓参り、精霊流し、初盆参り、里帰り、盆団子などいろいろあります。なかでも、盆踊りは印象深いものがあります。
盆踊りは、踊り子と口説(くど)き手、太鼓、三味線などの呼吸がぴったりと合うことにより、調子がよくなり、楽しくなります。「一に声よし、二じゃ節もよい」、「三で踊り子の手拍子も揃うた」というように、口説き上手が口説くと踊り子の輪も自然に大きくなります。踊り子は思い思いの衣装で踊ります。私たちが子供の頃は、青年の男子が女装で化粧をして、赤色や青色の「けだし」(註)を出して踊っている人もいました。
註:着物の下着。汚れをふせぎ、足さばきをよくする。
口説きは、「鈴木主水(もんど)」、「平井権八」、「数え歌口説き」、「能行(のうぎょう)口説き」などがあります。口説き始めは、口説き手が踊子衆に呼びかけながら調子を上げてゆきます。
さやあれ こりゃやれ
こりゃまたどうおうな
―― よいとさっさの どっこいさのさ――
さあさあ どなたも 一舞たのむ
わたしゃ ちょいと出の 田舎の野暮よ
―― あんた口説きの品のよさ――
野暮の口説きで合うやもしらぬ
―― あんた口説きにゃわしゃほれた――
以下、口説きの一部を紹介いたします。
鈴木主水(白糸口説)
花のお江戸の そのかたわらに
さてもめずらし 心中の話
所四ツ谷の 新宿町よ
紺の暖簾(のれん)に 桔梗の紋は
音に聞こえし 橋本屋とて
あまた女郎衆の 白糸こそは
年は十九で 当世育ち
あいきょうよければ 皆人さんが
我も我もと 名指しで上がる
分けてお客は どなたと聞けば
春は花咲く 青山辺で
鈴木主水と 云う侍よ
鈴木主水と いう侍は
女房持ちにて 二人の子ども
五つ三つは いたずらざかり
二人子どもの あるその中に
今日も明日もと 女郎買いばかりい
みるにみかねて 女房のお安
以下略
平井権八・小紫口説
ここに過ぎにし その物語
国は中国 その名も高き
武家の家老に 一人のせがれ
平井権八 直則こそは
犬の喧嘩が 遺恨となりて
同じ家中の 本庄氏を
切って立退き 東をさして
下る途中の 桑名の渡し
僅か計りの船賃ゆえに
あまた船頭に 取り囲まれて
すでに危うき その折り柄に
これを見かねた 一人の旅人
平井助けて 我家へ連れる
これぞ名におう 東海道に
その名熊鷹 山賊なるが
それと権八 夢とは知らず
そのや内には 美人がござる
名をば亀菊 蕾(つぼみ)の花よ
見れば見るほど おしとやかで
その夜権八が 寝間へと忍び
モーシ若さん 侍さんよ
此の家主は盗賊なるよ
知って泊るか 知らずであるか
今宵お命 危のうござる
わたしゃ三河の 富豪の娘
去年の暮から 此家に捕られ
永い月日を 涙で暮らす
以下略
能行口説
明治維新前後から企救(きく)・田川地方で能行口説きが盛んでした。これは旧企救郡能行村(現小倉南区大字長行字能行)のお千代・儀平という男女の悲恋物語り(天保六年陰暦二月二一日)です。
この能行口説は、総じて第一段から七段までにわたって出来ています。
第一段 発端
第二段 淀助恋慕の段(花づくし)
第三段 儀平立聞きの段
第四段 お千代支度の段
第五段 死出の道行きの段
第六段 いろはづくしの書き置きの段
第七段 最後の段
中でも、第二段の「花づくし」は花の名前を織り込んで作詩の妙を極めています。また、第六段「書き置きの段」は、いろは順(いろはづくし)に書かれていて、もっとも人々に親しまれている傑作です。
作者、植波良右衛門為意(ためとも)は旧企救郡蒲生(がもう)村(現小倉南区上蒲生)の人で、孫の梅之助が因州和紙和綴じの一巻として浄書し祖父の霊前に供えて原本としたといわれています。
第一 発 端
義理という字は何からはえる
思いあうたるたねからはえる
心中/\と世におおほけれど
ためしすくなき今度の心中
由来いかにとたづねてきけば
頃は天保六年(むとせ)の二月
豊のお国に名は企救の郡
作りせい出す能行村に
知らぬ人なき有徳のお人
中略
第六 書置の段
かかる処に儀平の里に
田代村なる夫婦の夢に
儀平病ヒに打ちふしけるに
二タ夜つづいて夢見がわるい
行って見ようと父上さまが
急ぎゃほどなく儀平の内よ
来るとその儘 夢見た事を
語り出せば家内のものは
夢はさかゆめ 思ひの外よ
中略
書置
いまぞ迷いの浮世とさとる
ろめいつながるその甲斐もなく
はぢも恥辱も命をすてて
西の浄土にゃ今ゆくほどに
第七 最後の段
心中するのは恋路のまよい
ぐちなやつじゃと おぼそうけれど
人の生涯おもうて見れば
庭の朝顔 籬のもくげ (後略)