田川地方のお田植え行事 豊作を祈る春の祭り

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【関連地域】添田町 糸田町

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 春先には、豊作を祈る祭りが行われますが、そのひとつとして毎年三月十五日には、田川地域の英彦山神宮(添田町)と金村神社(糸田町)でお田植祭りが行われます。田植までの農作業を仮に行って、豊作を祈願する予祝と呼ばれる行事のひとつです。英彦山神宮の奉幣殿では、祈念御田祭と呼ばれ、明治時代の神仏分離までは、英彦山最大の祭りであった松会(まつえ)で行われていました。その頃は、斎庭(ゆにわ)に立てられた巨大な松の柱(柱松)の下で行われていました。現在、柱松は大晦日に移動し松会の名残をとどめていますが、田植え行事は、三月に厳粛に行われています。木々に囲まれた奉幣殿で行われる神事は、格調高く一つ一つの所作が丁寧に演じられます。衣装も狩衣(かりぎぬ)・烏帽子(えぼし)の姿で、豊作を願い各地から訪れた参拝者達に威厳を示すと共に豊穣を祈る儀式は進行していきます。行事の順序は、①鍬(くわ)入れ(榊・松・ユズリ葉を立てる)②畔きり③田耕し(田打ち)④畔ぬり⑤牛(木製)馬把(まが)で掻く⑥えぶり使い(水田をならす)⑦種まき⑧田植え(石菖(せきしょう)を使う)⑨飯(いい)かぐめ(はらみ女が出る)で終わります。

 神事が終わると各地より訪れたムラの代表者達が、お札などを買い求めます。

 午後は、糸田町の金村神社で「田植祭」があります。英彦山の「祈念御田祭」は、修験道の松会に由来し儀式的な面が強いのですが、金村神社の「田植祭」は、神事でありながら演劇化され、ムラ芝居のような滑稽な面白さがあります。地域の人達の豊穣に対する祈りと共に、娯楽の一面が感じられます。

(長谷川清之)

<英彦山祈念御田祭>

①鍬入れ・畔切りを終え田耕しを行います。


②畔塗りを行い、牛が引く馬把で代掻きです。

鍬入れ・畔切りを終え田耕しを行います。


③えぶりで水田をならし種を播き、

苗(セキショウ)を植えます。


④はらみ女の御飯は、健康に良いそうで参拝者で取り合いになります。


金村神社の「田植祭」(無形民俗文化財)糸田町指定文化財 第三号

 田植祭は毎年三月十五日に、上糸田・中糸田・下糸田地区全体の祭りとして金村神社で行われています。毎年春の農業の出発として、その年の豊作を祈る春祭りです。祭りは祭典が午後三時頃から行われ、参列者は金村神社の神社総代や世話役・田植行事・田植舞の出演者です。祭りの経緯はまず神官が五穀豊穣の祝詞を奏上し、それが終わるとしばらく直会があって模擬農耕行事となります。登場人物はムクデ、女房のオカツ(身持ち女)、牛役二人、牛使い一人がいます。田植えまでの演技は、草刈り・溝さらえ・畦ぬり・身持ち女の昼まもち・牛を使っての代掻きの順で行われ、その後小学生による、田植舞が奉納され最後に田植えが行われます。

(岩熊真実)

<金村神社の「御田植祭」>

1.当日、社務所ではセキショウとオセン米が売られます。セキショウは祭りで苗を模して田植えに使われているもので、田の隅にさして豊作を祈り又軒先にさして家内安全・無病息災を願います。オセン米は、セキショウの汁で青く色づけしたもので、米に混ぜて炊いて食べます。


2.草刈りを行う際、蜂から刺され歯くそをつけて治療をします。その後溝さらえ、畔塗りを行います。


3.作業が一息つくと、オカツが昼食を長ショウケに入れ頭に載せて出てきます。オカツは、厚化粧でお腹を大きくし、鼻汁を示す綿の棒を二本垂らし、手鼻をかんで捨てます。これは、安産に効くといわれ参拝者が競って拾います。帰るときに昔の女性の立ち小便をして立ち去ります。


4.牛を使っての代掻きが行われます。途中、逃げ出した牛が境内狭しと走り回ります。


5.最後に苗に見たてたセキショウで田植えを行います。終わった後、参拝者がこれを持って帰ります。小学生による田植舞もありますが、これは昭和初期に始ったものです。