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英彦山の山伏集落の各坊は江戸時代、この山の薬用植物で薬を作り、その薬を九州各地への檀家まわり時に、お札や祈禱札等と一緒に手土産とし持参していました。薬の良しあしで信頼が左右されたともいわれ、各坊は秘伝の薬作りに励みました。英彦山を代表する万能薬とされた「不老圓」の調合方法を説明した古文書が財蔵坊に残されています。その記録によると主成分は当帰(とうき)・阿仙菜(あせんな)・肉桂(にっけい)とされています。
松養坊では「彦山疵薬(きずぐすり)」を作っていたようで、その調剤方法が残されています。それによると、
① 原材料は、硼酸(ほうさん)末・黄拍(おうばく)末・牡蠣(かき)末
② 使用量は、一包当たり各原材料を弐分・一分・一分使用する、一分は〇.三七五g。
③ 調剤方法は、原材料の三種の粉末をよく混合する。一包当たりの重さは一.五〇〇g。
④ 効能は、打ち身・切り傷によい。
⑤ 使用法は、傷口に撒布し白木綿で包帯をする。
明治四五(一九一二)年には、福岡県の「売薬営業免許之証」を得て、大正時代末頃まで製造・販売を続けていたようです。彦山疵薬の定価は一貼(袋)一銭でしたが、大正一四(一九二五)年には一貼(袋)二銭に値上がりしています。
(松養榮貞)