昔むかしのことでした。世は乱れ、国内では各地で争いが絶えませんでした。疫病(えきびょう)もはやり、盗賊もたくさんいて、村人は昼も夜も不安におびえながら暮らしていました。これは、そんな国を治めようと日本武尊(やまとたけるのみこと)が諸国を巡っていた時のお話です。
当時、朝廷に従わなかった南九州の豪族「熊襲(くまそ)」を平定しようと、日本武尊が南へ向かう途中、この地を訪れていたときのことでした。城田郷(きだごう)岩屋(現在の福智町弁城岩屋)の洞穴に「大ごう」「小ごう」という朝廷に逆らう豪族が立てこもっていました。日本武尊はこの「大ごう」「小ごう」を討とうとして、何度も岩屋に向かうのですが、当時ここには熱病をおこす瘴気(しょうき)(毒気)が多く、近づくと軍の人も馬も倒れてしまいます。日本武尊はどうしても討ち取ることができず、たいそう悩んでいました。ある夜のことです。眠りについた日本武尊の枕元に神様が現れ、こう告げたのです。「この近くの貴船山の北麓に湧き出る霊水を甕(かめ)に盛り、軍に持たせよ。さすれば瘴気は消えるであろう」。翌朝、日本武尊はさっそくその地に赴き、甕に霊水を入れて岩屋へ向かいました。するとどうでしょう、瘴気はうそのように消えて、見事、「大ごう」「小ごう」を討ち果たすことができたのでした。九州各地を平定した日本武尊は、再び霊水の湧き出るこの地に立ち寄り「あれは、まことに不思議なことであった。この池こそ我賀池(あがいけ)である」と、軍士を助けた命の泉を前にして言ったとか。この「我賀池」が、のちに「赤池」へ変化したと伝わっています。
また、一説には「阿伽(あか)」は佛語で「浄水」を意味することから、ここにかつて浄水池があったために「阿伽池」が「赤池」になったのではないかとも言われています。