コラム 糸田の地名由来

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【関連地域】糸田町

 「糸田」という地名の由来については諸説あります。関の山のある金国山地は豊前と筑前の国境です。ここは石灰岩からなるドリーネ(註)のある典型的なカルスト地形です。

註:石灰岩地域で地下に空洞ができ崩落して生じる陥没孔。

 ドリーネとは石灰岩地域で地下に空洞ができ表層が崩落して生じる陥落穴のことです。地下には豊かな水が流れ、古代から田畑を潤してきました。まず、関の山一帯に降った雨水が地下水となって湧出する泉の泌泉「たぎり」に関する伝説を紹介します。

泌泉(たぎり) 糸田町文化財第4号(史跡)


 「大伴金村が天皇に従い筑紫を巡視のおり、糸田の郷に至り、権現の示現をこうむったので、鉾をもって探知すると神泉を得て灌漑に多いに役に立った」という伝説から「いとよき田」「糸田」地名を生み出したというものです。

 伝説を生み出すほど地下水脈は豊かで、弥生時代、糸田の水田稲作は、泌(たぎり)川沿いに始まったと考えられています。本泌・中泌・小泌、その他無名の泌が糸田町鼡ケ池(ねずがいけ)から田川市にかけて点在します。しかし、石炭産業終末期、泌水源の地下水を強力ポンプで揚水したため、脱水陥落を起こしてしまいした。

 また、糸田小学校校歌にも「歴史は長し二千年、永久に尽きせぬま清水の」と歌われており、この地下水脈と人々の生活が強く結びついていることが伝わってきます。

 次に、「いと」は「いど」からきているという説があります。井戸に関する関連地名は、水井・二田水などの外に怡土(いとや)があります。魏志倭人伝には、魏の出先機関である帯方郡から最初に倭国へ到達するのは、糸島半島の怡土国でしたが、関連は不明です。

 最後に、糸田一族氏姓由来(新井康友編)説によれば、「加賀国金沢に糸田あり。播磨国飾磨郡に糸田あり。肥後国益城郡白幡に糸田村あり」と書かれています。

 実際、大正時代に糸田には「糸田さん」という人がいましたが、現在は行方が知れない状況で、糸田氏と糸田地名の関係は不明です。

(仲江健治)