【関連地域】赤村
赤村の地名である「赤」は、むかしからの伝承に由来があります。
赤村と添田町の境界にある岩石山は、昔「吾勝山(あがつのやま)」と呼ばれていました。それは吾勝尊(あがつのみこと)がこの山に降臨したという故事にならったものです。このような由縁があって、山の東に広がる細長い平野を「吾勝野」とされました。その後、南北に細長い平野と丘陵の北部を「我鹿(あが)」もしくは「阿柯(あが)」、南部を「津野」と称することになったと伝わります。その地は現在、「赤」、「津野(添田町)と呼ばれております。
「我鹿」という地名は、日本書紀安閑(あんかん)天皇二(五三五)年五月九日条に見られます。この条の注には、「我鹿、此れをば阿柯と云ふ」とあります。古代より「あが」と言われ、それが変化して「あか」となったようです。
「赤」が文書で見られるのは、中世の荘園の名称として使われたところにあります。江戸時代には、「下赤村」「上赤村」と呼ばれたことがわかります。現代では赤村と呼ばれ多くの方に親しまれるようになりました。
(松浦幸一)