関の山どんと夏吉どんの話

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【関連地域】田川市

 むかしむかし、関の山に、関の山どんというたいそうな長者がおりました。山頂から見渡す見立はもちろん、飯塚の庄内あたりまで田んぼも畑もみんな関の山どんのもんで、屋敷には大判小判宝物がざっくりあって七つの蔵にも納まりきれんほどやったそうな。

 ある年のこと、関の山どんに初孫がうまれました。大喜びの関の山どんはさっそく盛大なお祝いを開くことにしたそうな。手を尽くしてあらゆる山海の珍味やら名だたる銘酒やらをとりそろえて大勢のお客を招いて昼夜を問わず大宴会を何日も何日も開いたそうな。

 さて、夏吉にもこれまたたいそうな長者が住んどったそうな。夏吉の長者どんは風の便りに関の山どんの初孫祝いを知ってから

 「こりゃ,知らん顔はできんばい」

 と、さっそく三十俵もの餅をつかせて紅白の幕を張った大八車にのせてこれまた豪華に飾り立てた牛に引かせて送り出したそうな。

 ところがその大八車の行列が出発したとたん、立ち往生。関の山に行く道がなかったのです。「こりゃどうしょうかのお。くそっ。運べんばい」「長者様。無理でございます。荷を減らしましょうか」「いや。どうしてん明日にゃ、この山んごとある祝いを届けてあの関の山んやつをびっくりさせるんじゃ」

 あたりは一面の草むらで川もあってどうしようもありません。そこで夏吉の長者どんは、近くの村人をみな集めて、なんと、一晩で草を刈り、地ならしをし、橋を架けて一直線の道をつくってしまいました。(註)そうして、山んような祝いの餅を関の山どんの屋敷に運び込んだそうな。

 ところが関の山どんは、山んような餅をじろりと見ると、こう言いはなったのです。「何のいわれのないとに、こげん祝い餅受け取るわけにはいかん」贈り物を断られた夏吉の長者どんは、そりゃあ治まりやあしません。

 「なんちな。誰にもの言ようとか。わしが持ってきたもんばい。一度持参したものを持って帰るわけにいかん」

 「いや。一切受け取れん。持って帰れ」

 「何ちな。受けとれんちな。許せん。そんならこうしてやる」といって屋敷近くの関の山にみんな投げ捨てて帰ってしまったのです。やがて日が経つにつれて関の山いっぱいに投げ捨てられたたくさんの白い餅はどんどんと硬くなってとうとう石になってしまったそうな。

 その後、だれいうともなく

 「この石を七日七晩焼けば、またもとの餅になる」と、いわれるようになり、人々はそれを焼いて食べたということです。

(中野美惠子)

註 このお話は、長者話であること・短期間であること・民衆を動員していること・周辺に忌避伝承があることなどから、古代官道を反映させて語られたものと考えられます。又、石になった餅は石灰岩を映しているといえます。