むかしむかし、採銅所に猪うち勘三郎というてたいそうイノシシがりのうまい男がおった。高巣山と福智山の間の谷に池があった。人里はなれたさみしいところで夜になるとイノシシが水あびにくる。昼間は高い山のやぶにかくれてねむり、夜になると谷におりて木の実を採り、里まで来ては畑を荒らした。犬にあとをつけられないように、田んぼでのたうちまわって体中に泥をぬすりつけ、その泥と匂いを落とすために、木の幹に体をこすりつけたあと、池に入って遊びまわり夜になったら山に帰る。その水あびの時刻がだいたい決まっているので猟師はその時を待ってイノシシを撃つ。これを夜待ちの猟法といった。
勘三郎は、今夜も池のほとりでイノシシの来るのをじーっと待っていた。目の前で咲きのこりのヨイマチグサの花がひらいた。ふたつ三つ、うすやみの中で続けて咲いた。草むらでは、秋の虫が鳴き出した。やがて、東の山の方があかるくなって大きなまるい月がのぼってきた。月がたかくなると池の面の水草まではっきり見えてきた。勘三郎はもうイノシシがくるころと、鉄砲をかまえて息をつめ目をこらしておった。
すると、一匹のミズスマシが水草の上にとびのるのがみえた。その時、水ぎわのヤナギの枝からすうーっと銀色に光る糸をひいて、一匹のクモがさがってきた。そして十本の手足でさっとミズスマシをだきこんだ。クモの目がきらりと光った。ボチャリ。小さな水音がしたかとおもうと水草のあいだから、一匹のカエルがとび出し、ミズスマシもろとも、クモをパクリとひと飲みにした。勘三郎が、のどをぴくりとさせた時、水ぎわの岩かげから、マムシが一匹、すすーっとでてきて、パクッとカエルをくわえ向こう岸に泳いでいく。そのマムシのゆく手に、勘三郎の待っているイノシシが姿をあらわした。鉄砲の引き金に指をかけた。ねらいをさだめた目に、マムシがイノシシの口の中にすいこまれるのが見えた。勘三郎は頭の中に冷たい水がどっと流れこむような気がしてぞうっとした。ミズスマシをクモがかみ、クモをカエルが喰い、カエルをマムシがのみ、そのマムシをイノシシが喰う。そして、そのイノシシを人間の俺が殺す。するとイノシシを殺した俺は・・・。
「あああ、おそろしい。おそろしい。」
勘三郎はかまえた鉄砲をおろした。
その時、さっとあたりが暗くなった。空からかみなりのような声がおちてきた。
「勘三郎、よいふんべつじゃ」
声は、山や谷にこだました。
「勘三郎、よいふんべつじゃ」
真っ黒な入道雲のような怪物が、高巣山と福智山にがっしと足をふんばって、勘三郎を見おろしている。逆立つ髪は、金色の輪をえがいてすざましく、勘三郎はおもわず、鉄砲をとりおとした。そのはずみに、ズドン、と、鉄砲が火をふいた。ねぐらの鳥はいっせいに飛び立った。怪物は、辺りの草や池の水をゆるがす笑い声を残して消え去った。月はふたたび空高くさえわたり福智山の上の方でこうこうと輝いておった。
その後、勘三郎がどうなったのかを知るもんはおらん。