むかし中津原村の外れにお地蔵さんがたっていました。このお地蔵さんにたいそう元気の良い男の子がおかあさんといっしょに毎日一日も欠かさずお参りに来ておりました。お地蔵さんはその子を見るのが毎日の楽しみでした。ところがその親子の姿がおとといからみえません。心配になったお地蔵さんはそおっと様子を見に行きました。すると男の子は床についていてあごを吊り水で冷やしているのです。歯が痛いのか、それだけでなく歯茎も痛んで熱もあるようで、とても苦しんでいました。みていたお地蔵さんもつらくなってきました。
翌朝のこと、お母さんが男の子をおぶってお参りに来ました。
「お地蔵様、どうかこの子のあごの痛みをなくしてください。代わりに私が痛みを受けます。どうかお地蔵様お願いします」
お母さんは懸命にお願いするのです。痛みを自分が受けるから子の痛みを無くしてほしいと願うのです。一心不乱に祈る母親の姿に胸を打たれたお地蔵さんはこの親子の願いを聴くことにしました。
男の子のあごの痛みはしだいになくなり翌日にはやわらかいご飯が食べられるようになりました。喜んだ親子は
「お地蔵様のおかげやね。ありがたいありがたい」とお団子を作ってお礼参りにきました。しかし、お地蔵さんを見てびっくりです。
「あっ、お地蔵様のあごがない」
昨日お参りしたときまで丸々とふっくらしていたお地蔵さんのあごがまるで削られたように欠けているではありませんか。
「 これは・・・」
「おじぞうさんがおいらの身がわりになってくれたんやなかろうか」
「そうやねぇ。おまえの身代わりになってあごを失くしてしまったんやろうね」
親子はしばらくあごの欠けたお地蔵さんを見つめていました。
「お地蔵様、あごを失くしてまでもこの子を守ってくださってほんとにありがとうございました・・・」
お地蔵さんを心からありがたく思い、そのことを村人に話したところ、お堂をつくりお祀りをすることになったのでした。
それ以来「あぎなし地蔵」として信仰され歯や歯ぐきの悪い人がお参りすればよくきくといわれています。
註 また、この「あぎなし地蔵」にまつわる話がもうひとつあります。大任十輪院に伝わる鎮火地蔵の話と同じく、享保二年江戸大火災の時、江戸の災難を察した大任・伊田・中津原の三地蔵が火消しに出向きます。忽然と現れた三つの影が何やら呪文を唱えるとたちまち火の勢いが衰え小笠原藩邸の中屋敷に燃え移ることなく鎮火したというのです。その後、藩がこれらの地蔵に恩賞をくだされたのですが、中津原のお地蔵さんはあごがなく言葉がしゃべれないので火を消したという確認ができずに恩賞をいただけなかったというのです。