昔、昔。ここん野田ん里に、壇ノ浦の戦で負けた平家ん落人(おちうど)が逃げてきました。それはお姫様と乳母で、隠れ家を作って野田の小さな家に住んどったたそうです。お姫様の名前はお蝶と言いました。
里の者は、初めのうちは変な人と思っておりました。しかし、そのうち二人の健気な姿に胸を打たれて、同情するようになりました。二人の住む家からは機織(はたお)りん音が聞こえち来るようになりました。機織りに慣れんきやろうか、毎晩毎晩、遅うまで二人は働きよりました。それで里ん者はときどき、しわっと(そっと)食べ物を差し入れちゃったそうです。そして里ん者はいつの間にか、この二人が平家の落人ち言うことを知ったそうです。
二人は野田の里で何とか幸せに暮らしよりました。しかし、落人狩りが厳しくなって、二人の所にも落人狩りがあるっち言う知らせが来ました。捕まったら殺されるんは明らかでした。
そしてとうとう、二人の隠れ家が見つかってしまったそうです。追っ手がやってきました。
「早く、お逃げくだされ…」
乳母にせき立てられ、姫は裏ん山に隠れちいきました。そん後ろ姿を見送った乳母は、その場で自害してしまいました。
ひとりになった姫は、自分の行く末を悲しんで、途方に暮れちしまいました。乳母が居なくなった今、一人になってどうしちいいか分かりません。
「乳母は、私によう尽くしちくれた。里ん人も親切にしちくれた。貧乏やったけんど幸せやった」
とぼとぼ歩くうちに彦山川のほとりに来ました。にっちもさっちもいかんくなった姫は、彦山川の淵に飛び込んで、死んでしもうたそうです。
今でも、夜にその淵の側を通ると、悲しい琴の音(ね)がするそうです。里人は生前のお蝶を慕うち、この淵を《お蝶が淵》っち名づけち霊を弔(とむろ)うた、ちゅう話です。
それからまた、この淵には昔から蛇がおって、毎晩、毎晩水を飲みに来ていたそうです。そのため、お宮さんが蛇封じをしたそうで、蛇を一カ所に集めて封じ込め、皆の難儀を救ったそうです。そのお宮さんに行けば、今でも蛇封じのあとがあるそうです。