お松の墓由来

392 ~ 392

【関連地域】糸田町

 これはお松という女性のかわいそうな話です。

 むか~しのこと。この村にあるお金持ちが住んでいました。主人はとても酒好きで、毎晩、酔っぱらって帰ってきていました。この家には、お松という心のやさしい女中が奉公していました。お松は主人付きの女中であったため、夜が更けても主人の帰りを待って世話をしていました。このことが後々奥様の怒りをかうことになったのです。

 ある底冷えのする寒い冬の夜のことです。その日も主人は酒の匂いをプンプンさせながら、夜遅く家に帰ってきました。お松は気を利かして火鉢に炭火をおこして部屋を暖めていました。主人は酒に酔って足取りも危なっかしい状態でした。部屋に入ったと思ったら、よろけて倒れそうになりました。そこで、お松はあわてて駆け寄り、主人を支えようとしましたが、そのまま二人とも抱き合う格好で横倒しになってしまいました。運の悪いことに、その様子を奥様が見てしまったのです。奥様は部屋に駆け込むと、近くにあった焼火箸をつかんで、いきなりお松の顔に投げつけたのです。きっと、焼きもちからでしょう。「ああっ!」お松は顔を両手でおおうと部屋を飛び出していきました。なんと焼火箸はお松の顔に突きささっていたのです。

 翌日、お松は裏の池に冷たくなって浮いていました。このことを知ったお松の母親は、「お松、お前に執念があるならば、この家に七代まで祟(たた)るがいい」と嘆きながら池の近くに墓を建ててお松を弔いました。

 その池は見立大池と呼ばれ、現在は昔の三分の一程度に埋め立てられているそうです。お松は命日になると見立大池に人魂となって現れ、小川に沿って生まれ故郷の糸田へ里帰りをするといわれています。ちなみに、お金持ちの家は絶え、今はもう屋敷跡すら残ってはいません。焼きもちは、いつの時代もほどほどにということでしょうか。

(森本弘行)