泌泉(たぎり)のこと

393 ~ 393

【関連地域】糸田町

 村人たちは、これまでに稲の全滅を何度嘆き悲しんできたことでしょう。この水田一帯の付近には、適当な水源がなかったため、雨期に雨の量が少ないと稲の収穫はほぼ皆無という状態でした。それで、稲の収穫には雨水だけが頼りだったのです。

 大伴金村がこの地にやってきたのは、村人たちが「今年もまた干ばつに襲われるのだろうか」と心配している時期のことでした。金村は村人たちが毎年のように干ばつによる飢饉に悩ませられているということを聞くと、すぐに数人の鉱夫を呼び寄せました。そして、山の一部を切り開かせ、ある程度の深さまで掘らせて作業を止めました。

 それから、金村は人払いをさせると何か一心に祈り始め、祈りが終わると、手に持った鉾を高くかざし、ものすごい雄叫びとともに気合を込めて鉾を地中深くに突き刺しました。しばらくしてその鉾を抜き取ると、不思議なことに鉾が刺さっていた跡からきれいな水がコンコンと湧き出したのです。水は瞬く間に周囲にあふれ、たちまち小さな池になりました。それから池の水はあっという間に近隣の田を潤していきました。これ以来、この地では干ばつに悩ませられることがなくなったということです。

 村人たちは大伴金村の徳を偲び、鉾をご神体として神社を建立し、金村神社と名付けました。鉾を突き刺した地は「ほこもと」とよぶそうです。

(森本弘行)

註 金村神社では、毎年三月十五日に田植祭(福岡県指定無形民俗文化財)が行われています。上糸田・中糸田・下糸田地区全体の五穀豊穣を祈る春祭りです。