その観音堂は笹や雑木に囲まれていて道から気をつけないと見ることができませんでした。そうでなくても、この堂にはもののけがついているらしく、昼となく夜となく異変が続いていました。村人は恐れて、だれも寄りつかないものだから観音堂の周囲は一層荒れていました。
そんなある日、この地を通りかかった一人の旅僧がいました。旅僧の名は義岳といい、身の丈六尺(一・八m)あまり、錫杖(しゃくじょう)を持つ彼の姿は遠目にも頼もしく映りました。
夕暮れ時になり、義岳はとある農家で一夜の宿を請いました。彼を一目見るなり、尋常でない印象を受けた主人は心持よく宿を貸し、観音堂での異変について相談してみることにしました。
「村のはずれの観音堂に、いつの頃からか、妖怪とおぼしきものがとりついています。退治する方法はないものでしょうか」
主人の頼みを聞いた義岳は「形がある妖怪でしたら、私の剣で退治しましょう。もし形のない妖怪でしたら観音様のお力を借りて退治しましょう」と言って観音堂に入っていきました。
義岳が真っ暗な観音堂に入ると間もなく、奇声とともに堂がはげしく揺れ動き、妖炎が彼の周囲を舞いました。
義岳は剣で退治しようとしましたが、なかなかうまくいきません。危険を感じた義岳は肌身はなさず持っていた守り本尊を取り出し妖怪退治を祈願しました。
すると、炎はひとつ、ひとつ消えて、やがて堂内にはおだやかな明るさがもどってきました。そして、二度と観音堂に異変は起こることはありませんでした。
妖怪を退治した義岳は再び巡礼に出かけようとしましたが、彼の偉業に感激した村人の懇願により、村に居住することになりました。その後義岳は村人の仲介で村娘をめとり子をなしました。彼の血をひくものの中に、深く浄土真宗に帰依するものがいて、慶長十(一六〇五)年に『光蓮』という寺号をたまわりました。
註 田川郡(東川崎)降鬼山光蓮寺の縁起です。本堂横にはかつて殿様が休憩したといわれるお成り座敷がありました。