大任町今任原(いまとうばる)に十輪院というお寺があります。正しくは松霊山延命寺十輪院といいます。本尊は鎮火地蔵尊です。このお地蔵さまにはこんな言い伝えがあります。
享保二(一七一七)年、小倉城主二代小笠原忠雄公が江戸の藩邸にいるときのできごとでありました。火事と喧嘩(けんか)は江戸の花といわれましたが、この年の火事も大きゅうございました。炎はまるで生きもののようにあばれまわり、家並みは何する間もなくのみこまれていきました。火の勢いは時間がたつにつれて増し、そばまでおし寄せてきました。
「もはや逃れるすべなし」
屋敷の者たちも観念しました。炎はまさに燃え移らんとしていた、そのとき、逃げまどう家臣たちの目に一人の僧がうつりました。その僧は手に錫杖(しゃくじよう)を持ち、屋根にすっくと立ちはだかっておりました。懸命な呪文(じゅもん)の声が耳に入ってきました。どうしたことか。炎は近づくことができず、あまつさえ風は静まり、屋敷は難を逃れました。
「僧をこれに…」
忠雄公は、僧を招き入れて茶をもてなしました。
「して貴僧はどこからこられたのか」
「われは領内豊前田川郡大任村の地蔵なり」
言い終えぬうちに、僧の姿はこつぜんと消え去っていました。
直ちに大任に向かって使者が出されました。この地に古びた草堂がありました。草堂は二本の松の間に、守られるように静かでありました。ここに地蔵が、生けるがごとく座しておりました。かたわらに、江戸邸で僧に出した茶わんがおかれていました。
その地蔵の足元が黒くこげていました。まさしくこのお方だと確信しました。
報告を聞いて、忠雄公は今さらながら霊験あらたかなるものを知りました。そして、長く香を絶やさぬよう精舎を新たに建立し、臨検の際に参拝することとしました。
鎮火地蔵祭りは、毎年、盆月の八月二四日と決められています。この日に限って本尊は開帳されます。村では盆踊りや相撲で祭りを楽しみます。この夜は、彦山川に精霊流しもします。以前は青年男女が、祭りの準備に駆けまわっていました。
火難守護の寺として有名で、家に本尊のお札を貼ってあると、火事にならないと信仰されているそうです。