一〇〇年ほど前のことです。赤村と犀川町の境にある石坂に一ぴきのきつねが住んでいました。このきつねは、人間からだまされても自分から人間をだますこともなく、あくまで行い正しく、岩崎三次郎という人間の名前まで持っていました。
三次郎ぎつねと一番の仲良しは、近くの里に住む大島彦六という人で、彦六の子どもが病気でもすると、薬草をせんじて手当てしてくれるほどでした。
ある日、三次郎ぎつねが彦六に別れをつげにやってきました。
「しばらく旅に出ることにした。すまんが、その留守中、私の家をたのみます。」
三次郎ぎつねが旅に出てまもなく、犀川の酒屋さんが石坂の森を買ったといううわさが広がりました。しかも木を切って柿畑にするということです。驚いた彦六は、すぐに犀川に飛んでいって三次郎ぎつねのことを伝え、「森の木を切らないよう」頼みましたが、酒屋さんは全く取りあってくれません。
やがて、気をもむ彦六の目の前で、石坂の森はたちまち丸はだかにされ、三次郎ぎつねの家も壊されて、柿畑になってしまいました。
数年後、ひょっこり三次郎ぎつねが帰ってきました。見ると、家のあった辺りは一面の柿畑…。温厚な三次郎ぎつねも、これにはすっかり腹をたててしまい、どこともなく去っていきました。
さあ、それからです。酒屋さんの家に変事が相次ぎました。仕込んだばかりの十石(一・八㎘)入りの酒だるが二本ともくさってしまったり、原因不明の出火で家が焼けてしまったり、体の調子も思わしくありません。たび重なる変事に、ついに酒屋さんは修験者に占ってもらうことにしました。すると、「きつねのたたりだ」との返事です。
三次郎ぎつねの家を壊したことを思い出した酒屋さんは、彦六のところへ行っておわびを乞い、三次郎ぎつねの家のあった場所にほこらを建ててまつりました。それが石坂の岩嶽稲荷大明神です。
その後、小さなほこらは、信仰厚い人々によって改築され、今は立派な建物となっており、三次郎ぎつねの帰りを待ちわびているということです。