【関連地域】赤村
赤村にある十津川上流の津野境に、こっとい岳(六〇〇m)がそびえています。その頂上に「一字一石法華塔」が建てられており、これにまつわる怪奇な物語が伝えられています。
弘化四(一八四七)年の春、津野村田代の農民奥武某が友人と狩猟の帰りに平山池付近にさしかかった時、六・七歳の子どもに行き会いました。子どもはにっこり笑って通り過ぎました。
先を急いでいた奥武さんが「人里離れたこの山中、しかも冬の日暮れ時に子供が一人で通るとは…」と、ふしんに思いすぐ後ろを振り返ってみました。が、もう子どもの姿は見えませんでした。
そこで、後ろから来た友人に「お前今、子どもに会わなかった?」と、たずねると、「……いや子どもなど見なかったがどうしたか?」との返事。思わず身ぶるいし、とたんに足腰がなえ、一歩も歩けません。
やむなく、田代へ救援を求め、かついで帰りました。村人(むらびと)が集まって協議の末「これはきっと千年以上平山池に住み、神通力を持つと伝えられる河童につかれたのだろう」ということになりました。
そこで英彦山から修験者の経覚坊を招き、三日三晩祈祷をしてもらいようやく元の身体になりました。
村人は河童の生霊を永久にふうずるため、鋤先を小さくわったものに一字ずつ法華経文を書き込み、こっとい岳の頂上にうめ、塔を建てました。
高さ約一mの塔には「華塔弘化四年六月□日」ときざまれています。
以来、山の頂上を『法華の辻』と言い、旱魃の年には、ゴマをたき降雨を祈るといいます。
(松田幸)