碧厳寺は田川市後藤寺から中元寺川に沿って糸田を通り、金田町に入る道の峠を降りたところから、右に折れて入って、右手にある小高い山手にあります。
この碧厳寺には縁起として、このような話が伝わっています。
なんでも元禄の頃、全国を修行して回っている一人の道士がおりまして、この村にさしかかりました。
ちょうど日が暮れてきたので、その道士は村に入る手前の石橋で野宿することになりました。
三月の真夜中ですから、ずいぶんと冷え込みました。荒行を続けて野宿にはなれているとはいえ、春まだ早いこの時期の冷え込みは体にこたえました。
夜が更けてきた時のことです。不意に道士の夢の中に菩薩(ぼさつ)があらわれ、道士にお告げをしました。
「吾は観音なり。ここに在って久しく人の踏むところとなれり。すなわち吾は橋なり。早やばや吾をこの村に安置すべし。汝の平素の強き信仰心は、またとなき適任と見えたり。しかと、この事を依属す」
このような意味のことを告げられました。
朝になりました。道士は顔を洗うために石橋の下の溝をのぞきこみました。
そして、その瞬間、身内を得体の知れないおののきが駆け抜けました。なんと、昨夜夢まくらにあらわれた観音像が水面にうつっていたのでした。それは夢の中のお姿と、まったく同じものでした。急いで橋の裏をみると、思いがけないことに、その石橋が観音の石像だったのでした。
道士は早速、この地に錫(しゃく)を留めて、この像を山に安置しました。そのあと苦難のすえ、自らで草庵を結んだということでした。
註 碧厳寺は金田の教育にも深い関係があります。碧厳寺十七代住職で漢学者でもあった黒田天麟和尚は碧厳寺の本堂を昭倫舎という塾舎にあてました。この昭倫舎は明治六(一八七三)年に開校した現在の金田小学校の前身となりました。