連歌は五七五(長句)と七七(短句)を複数の人々が詠み継がれてゆき百句(百韻)からなる一つの作品を作り上げられます。現在は簡略化した四十四句(世吉(よよし))の作品が一般的となっています。
明智光秀が本能寺の変の直前に山城国愛宕山で百韻を巻いた『愛宕百韻』が有名です。
(発句は)
ときはいま あめが下知る 五月かな 光秀
水上まさる 夏山 行裕
花落つる 流れの末を せきとめて 紹巴
(と百韻続きます。)
『筑紫道記』を見ると、連歌師飯尾宗祇(いいおそうぎ)は文明十二(一四八〇)年、山口・木屋瀬・太宰府・遠賀などをおとずれた三〇日間の旅で、この地方の連歌に影響を与えています。
行橋市にある今井津須佐神社で五百年続く今井津祇園奉納連歌は全国で著名です。連歌の奉納は夏の祇園祭では社頭連歌と車上連歌が行われます。七月十五日頃に今井の熊野神社ではじめられ一週間後に須佐神社拝殿で完結する社頭連歌と、浄喜寺の庫裡(くり)で行われる車上連歌があります。
その他、連歌は香春町でも香春神社において寛保の頃から明治の頃まで続いていました。また、香春町の須佐神社でも連歌奉納がおこなわれていました。こうしてみると、田川地方の各神社でも連歌奉納が行われていたことが考えられます。もう一度さがしてみたいものです。
(中野直毅)