1 セスドノ古墳 田川市
県指定史跡 昭和46年11月26日指定
セスドノ古墳出土品
市指定有形文化財(考古資料) 平成2年4月9日指定
初期横穴式石室をもつ県内でも有数の大型円墳で、古墳時代中期(5世紀末~6世紀初)の築造といわれています。石室は西に開口しており、内部全面に赤色顔料が塗られていました。石室内部は多数の副葬品と5体の人骨が出土しました。周濠内からは円筒埴輪が発見されており、墳丘上に埴輪が立てられていたと考えられています。出土遺物は田川市石炭・歴史博物館で保管展示されています。
2 伊加利人形芝居 田川市
県指定無形民俗文化財 昭和51年4月24日指定(旧指定 昭和27年9月13日)
慶応年間(1865~1868)に伊加利村に悪い病気がはやり、幼児が次々と亡くなりました。村人たちが村の鎮守神岩亀八幡の末社である宇賀社に疫病終息の祈願を行ったところ、弁財天が現れ、「子どもの喜ぶ人形芝居を奉納せよ」と告げたと言われています。明治22(1889)年から大分県中津市北原の島屋座より淡路系三人遣い人形の技術を習得し、明治末期に現在の技法が完成したといわれています。慶応元(1865)年から毎年正月初巳の日に人形芝居を奉納、「万年願」として今日まで続けられています。
3 岩屋鍾乳洞 田川市
県指定天然記念物 昭和31年10月13日指定
古生代(6億~2億年前)に形成された石灰岩層が水により浸食されてできたもので、洞内の探勝可能な深さは約170m。洞の中央部は上下三層に分かれ、下層は水路になっています。洞の入口は昭和15(1940)年に開削されたもので、それ以前は竪穴の入口があったということです。仁王門・男岩・八畳敷・えびす岩などその景観にふさわしい名称の付けられた石筍や鍾乳石を見ることができます。
4 旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓、第一・第二煙突 田川市
国登録有形文化財(建造物) 平成19年10月2日 指定
伊田竪坑は、三井田川鉱業所が田川開発の切り札として、明治38(1905)年から5年3か月の日数を費やして明治43(1910)年に完成させたものです。第一竪坑櫓は鉄製で高さ約28.4mで、明治42年に完成しました。2本の大煙突は明治41(1908)年に完成。丸形、耐火煉瓦製で高さ45.45m。耐火煉瓦は総計213,000枚(ドイツ製181,000枚,国内製32,000枚)が使用されています。
5 成道寺石造七重塔 田川市
市指定有形文化財(建造物) 平成2年4月9日指定
総高3.04m。塔身は47.8cmと45.5cmでやや丈高<、四方仏を浮彫りにしているが風化のため仏形は確認できません。南北朝時代の建造とみられ、小督の局の供養塔と伝えられています。重厚で均整のとれた石塔で、豊前地方では他に類例をみることができない優れたものです。
6 猫迫1号墳出土埴輪資料 田川市
市指定有形文化財(考古資料) 平成19年3月23日指定
猫迫1号墳は、セスドノ古墳に近接する古墳で、平成11年度に発掘調査が行われています。日本最古級の馬形埴輪と九州唯一の完形である甲胄形埴輪をはじめ、5世紀頃の円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪(蓋形・家形・盾形)など数多くの埴輪が出土しています。これらの埴輪資料は、5世紀代の埴輪資料が少ない遠賀川流域において貴重な文化財です。
7 興国寺の文化財 福智町
木造元晦禅師坐像
県指定有形文化財(彫刻) 昭和31年4月3日指定
興国寺開山と伝えられる無隠元晦の像で、南北朝時代の作と考えられます。禅宗では祖師の肖像彫刻を頂相彫刻と呼びますが、数ある頂相彫刻の中でも時代も古く優れたものです。
興国寺仏殿(観音堂)附 石柱一基
県指定有形文化財(建造物)平成17年2月23日指定
紙本墨書興国寺文書
県指定有形文化財(古文書)昭和31年4月3日指定
8 九州マクセル赤煉瓦記念館(旧三菱方城炭礦坑務工作室) 福智町
国登録有形文化財(建造物) 平成9年9月3日登録
三菱による方城炭坑の開削が始まったのは明治35(1902)年のことです。明治37(1904)年頃には引込線が完成。大正元(1912)年には発電所が完成し、着実に発展していきます。大正3(1914)年には日本の鉱山史上最大の死者687名(方城町史より)を数えた方城炭坑大爆発が起こりましたが、昭和37(1962)年の閉山に至るまで、筑豊石炭産業の中心地の一つとして栄えました。九州マクセル赤煉瓦記念館は明治37(1904)年頃に建設されたと考えられる赤煉瓦建物です。
9 城山横穴群福智町 福智町
国指定史跡 平成26年10月6日指定
城山横穴群は、遠賀川上流の独立丘陵上に約27000m²にわたって分布しています。事前調査の結果、横穴墓222基、横穴墓に伴う墳丘12基、横穴式石室墳1基が確認されました。城山横穴群は田川地域の中では最も古く、遠賀川流域で確認されている横穴墓でも最古の部類に入ります。九州内で200基を超える横穴墓群は4例しかなく、その4例の中でも当横穴群の密度は最も高く、6世紀前半から7世紀後半にわたって行われた横穴墓の造営や追葬の過程をたどることができます。
10 伊方古墳 福智町
県指定史跡 昭和52年4月9日指定
6世紀の終わりころ作られた、高さ約5m、直径32mと考えられる円墳で、田川地方においてはこの時期では最大規模の古墳です。古墳の内部は前後2室からなる複室構造の横穴式石室です。石室は巨大で、全長12mを超え、高さは後室で約3mあります。石室は花崗岩の巨石を用いて構築され、石と石の隙間は粘土での目張りが施されています。出土品に金銅装(金メッキ)の馬具や須恵器、土師器と呼ばれる土器類があり、金銅装の馬具のような豪華な副葬品も見られることから、かなり有力な人のお墓と考えられます。
11 方城岩屋磨崖梵字曼荼羅 福智町
県指定史跡 昭和46年11月16日指定
方城岩屋磨崖梵字曼荼羅は岩屋権現境内の崖面に刻まれた梵字と曼荼羅、銘文からなる梵字曼荼羅です。中心となる曼荼羅は四印会曼荼羅と呼ばれる珍しいもので、銘文中の年号の解釈には諸説ありますが建武2(1335)年に良蜜という僧侶が願主となって完成したと伝えられています。記年銘のある梵字曼荼羅としては最古のもので、この地方の修験道を物語る貴重な資料で県指定の文化財です。
12 藤江氏魚楽園 川崎町
国指定名勝(庭園) 昭和53年9月18日指定
雪舟が九州に滞在していた際に、川崎町にも来訪し、荒平の山奥で強大な権力を有した藤江氏を頼ったと考えられ、この時当庭園を築庭したと伝えられています。当庭園は神仙蓬莱思想に基づき築庭された池泉鑑賞式庭園で、仏教に基づく宇宙観を描写するだけでなく、一般人にも解り易い鶴と亀をなぞらえて極めて品が高いと称されており、幕末の漢学者村上佛山により詩経の大雅篇中「魚楽しければ人また楽し」の言葉を引用し「魚楽園」と名付けられました。
13 輪蔵附経蔵 光蓮寺のボダイジュ 川崎町
輪蔵附経蔵
県指定有形民俗文化財 昭和38年1月16日指定
光蓮寺のボダイジュ
県指定天然記念物 昭和39年5月7日指定
光蓮寺は慶長10(1605)年に建立された古刹で、この輪蔵附経蔵は第8代住職の智巖和尚が長崎で修業中に寄贈された明版の大般若経(一切経)を納経するために設けたものです。輪蔵は八角形の形をしており、珍しいことに収納が引出となっています。また、輪蔵附経蔵の真前に光蓮寺のボダイジュがそびえています。これは、智巖和尚が一切経と一緒に持ち帰り植えたとも、一切経を慕って飛んできたとも伝えられています。
14 清祀殿跡 香春町
県指定史跡 昭和31年8月11日指定
採銅所・長光にあり、古代に宇佐八幡宮の御神境を鋳造した場所です。付近には銅を採掘した坑道があります。間歩とは銅山の坑口のことで、特に宇佐神宮御神鏡鋳造の深いこの場所は「神間歩(かんまぶ)」と呼ばれています。清祀殿の建物の土間中央には完成した御神鏡を安置した御床石が置かれていました。この建物の後ろには三基の御床石が祀られています。
15 勾金陵墓参考地(河内王陵墓) 香春町
宮内庁指定陵墓参考地 明治27年指定
直径3.6m、高さ1mの円墳(外輪崎古墳)が鏡山大神社の麓にあります。この古墳に葬られた人物は持統3(689)年大宰府帥(長官)となり筑紫赴任した皇族、河内王。同八年四月、河内王に浄大肆を賜り、帰京を望みかなわず薨去されたといわれています。万葉集には、河内王を豊前國鏡の山に葬る時、手持女王の作る歌が三首残されています。明治27(1894)年、内務省調査で、宮内庁一級陵墓参考地(勾金陵墓参考地)とされました。
16 神宮院の天然記念物 香春町
大イチョウ
県指定天然記念物 昭和31年8月11日指定
石割枇杷
県指定天然記念物 昭和31年8月11日指定
神宮院は、もともと神宮寺と言い、最澄(伝教大師)の開基です。延暦22(803)年、大師入唐求法の際、先ず宇佐八幡に詣で、八幡大菩薩の勧めにより香春の神に渡海の平安を祈りました。唐に渡って帰国後、弘仁5(815)年に最澄は謝恩報謝のため、法華院を建て、石上において法華八講の法会を行い護摩の法を請じました。戦国期以降の荒廃を経て享保6(1721)年、神宮院の地|より現在地に移し、牛頭山高座石寺と改称し曹洞宗の寺院となりました。町指定の梵字石、護摩石もあります。
17 旧亀石坊庭園 添田町
国指定名勝 昭和3年2月7日指定
英彦山の中腹にある旧亀石坊庭園は英彦山修験道坊家の代表的な庭園で昭和3(1928)年に国指定名勝に指定されました。広さ762m²の池泉鑑賞式の庭園であり、雪舟の作庭と伝えられています。英彦山庭園 国指定名勝令和2年3月10日追加指定旧座主院御本坊庭園、旧座主院御下屋庭園、旧政所坊庭園、旧泉蔵坊庭園、旧顕揚坊庭園、英彦山神宮旅所庭園。英彦山の旧顕揚坊庭園など、6つの庭園が国指定名勝に追加指定になりました。
18 英彦山神社銅鳥居 添田町
国指定重要文化財(建造物) 昭和14年10月25日指定
寛永14(1637)年佐賀藩主鍋島勝茂によって建立された青銅製の鳥居です。鳥居正面の「英彦山」の扁額は享保14(1729)年に霊元法皇によって下賜されたものです。昭和14(1939)年に国指定重要文化財に指定されました。英彦山神宮にある「英彦山神社奉幣殿」も国指定重要文化財に指定されています。
19 石坂トンネル(第2隧道) 赤村
国登録有形文化財(建造物) 平成11年11月18日登録
豊州鉄道株式会社が石坂峠付近の大坂山の岩盤に掘削した全長75m、曲線平面の煉瓦造隧道。複線仕様の扁平な馬蹄形坑口を持つトンネルです。坑門は切石積みでアーチ部のみ煉瓦で構成し,坑門端部で迫り出した門柱状の意匠によリポータルを造っています。担当技師は野辺地久記です。
20 内田三連橋梁 赤村
国登録有形文化財(建造物) 平成11年11月18日登録
筑豊地方の運炭鉄道網拡充のために設立された豊州鉄道株式会社が油須原一香春間に建設した橋長17mの煉瓦造3連アーチ橋です。上流側壁面には切石が貼られていますが、下流側は複線化を考慮し凹凸をつけて煉瓦が積まれており、結果として装飾的になっています。
21 仲哀隧道 香春町
国登録有形文化財(建造物) 平成12年4月28日登録
筑豊で採掘された石炭等を運搬するために掘削された全長432mの隧道です。隧道内壁の両端部は煉瓦及び石造で、その他の部分は素堀りとなっています。馬蹄形の坑口周りを花崗岩の切石とし、煉瓦積みの坑門が門柱状の意匠で飾られています。
22 呉川眼鏡橋 香春町
国登録有形文化財(建造物) 平成12年4月28日登録
1級河川遠賀川水系の呉川に架かる石造単アーチ橋です。橋長8.6m、幅員4.2mの規模を持ち、アーチは半径約3mのほぼ半円形をしています。切石の花崗岩が整然と布積みされた充腹アーチが、周囲の自然景観に溶け込んでいます。
23 元光願寺の大クス 香春町
県指定天然記念物 昭和31年8月11日指定
光願寺は浄土宗の古刹ですが、昭和20(1945)年の水害の際の土砂崩れのため全滅し、現存は他所に移転しています。この水害の際、このクスノキのみはひとり土砂を受け止めて、泰然自若として生き残り、僅かに枝の一部を強風で折損したのみでした。その規模は、胸高周囲9.4m、根回り15.6m、樹高42.0m、枝張り東西29.0m、南北20.0mであり、幹は南西面からの傷により空洞を生じています。
24 菅原神社のイチイガシ 大任町
県指定天然記念物 平成8年7月3日指定
このイチイガシは胸高囲4メートル、樹高28メートル、樹齢は300年から400年と推定され、県の天然記念物に指定されています。イチイガシはブナ科の常緑広葉樹で、葉の裏側に黄褐色の蜜毛があることが他のカシと異なる特徴で、地元では「イチカッポ]の名称で親しまれています。実はアク抜きなしで食べられることから縄文時代から人々に食用とされています。
25 天台寺跡(上伊田廃寺) 田川市
市指定史跡 平成5年12月7日指定
田川地方唯一の古代寺院跡で、ここから出土した新羅系軒瓦は華麗な唐草文で飾られ、日本の新羅系軒瓦の代表的なものとして知られています。寺の創建の時期は、白鳳時代(7世紀末ごろ)と考えられています。
26 旧林田春次郎家住宅本屋・迎賓館(料亭あおぎり) 田川市
国登録有形文化財(建造物) 平成23年1月26日登録
田川市初代市長林田春次郎氏の旧宅で、大正期に築造された本館と、昭和初期に築造された新館で構成されており、銅板葺きの新館は銅御殿とよばれていました。この地域に現存する近代和風建築の中でも、最も優れた意匠と外観を有する建物の一つで、国登録有形文化財(建造物)に登録されています。
27 国境石 糸田町
町指定史跡 平成13年6月4日指定
烏尾峠の国境石は、糸田・頴田両町の境界線上にかかる国境石3基が指定文化財になっています。烏尾峠は古代より飯塚~田川間の交通の要衝となっており、元禄13(1700)年11日に旧烏尾峠に所在する筑前・豊前の国境線が確定した際に7本の御境石(国境杭)が立てられました。現在では5本の国境石が現存しています。これらの国境石は国境石は現在も町境として生きています。烏尾峠の峠道は森鴎外や種田山頭火といった著名人が歩いた道ということもはっきりと分かっています。
28 定禅寺のフジ 福智町
県指定天然記念物 昭和37年7月26日指定
定禅寺(弁城)では、毎年「迎接(こうじょう)の藤」が、4月末ころに1メートルほどの紫の花房を境内一面に咲き誇り、近隣はもちろん県内外からの花見客でにぎわいます。昭和37(1962)年7月、福岡県の天然記念物に指定された際、当時の大庭達城住職が「誰もに接し、愛でてほしい」との意を込め、「白雲山 迎接院 定禅寺」の院名にもちなんで「迎接の藤」と命名。毎年4月29日に行われている藤供養の「藤祭り」では、多くの人が見守る中、藤の長寿と満開祈願の尺八演奏が奉納されています。
29 旧数山家住宅 添田町
国指定重要文化財(建造物) 昭和53年1月21日指定
英彦山詣での際に通過した郡境一国境である、英彦山七口の津野口(現在の上津野地域川こ位置する農家です。建物は寄棟造、茅葺で、整形六間取りの平面をもっています。天井など細部がよく残っており、福岡県下における直屋の好例として、重要文化財に指定されました。昭和54(1979)年に解体修理工事が行われており、現在は建設当初の姿に復原されています。
30 英彦山神社奉幣殿 添田町
国指定重要文化財(建造物) 明治40年5月27日指定
山内最大の建物であり、かつては霊仙寺の大講堂で、英彦山修験の中心的構造者でした。現在の社殿は、元和2(1616)年に小倉藩主細川忠興によって再建されたもので、当初は寄棟造でしたが、享保8(1723)年に小倉藩主小笠原忠雄によリ、大屋根の入母屋造に改造されています。
31 英彦山の鬼スギ 添田町
国指定天然記念物 大正13年12月9日指定
福岡県最大級の巨木で、林野庁発表の「森の巨人たち百選」にも選定されています。樹齢は1,200年以上とされ、幹の周囲は約12.4m、高さは上部が落雷で欠損しているものの、約38mあります。
32 鷹巣山 添田町
国指定天然記念物 昭和16年8月1日指定
鷹巣山は、三つの丘状地形の峰の総称で、西から数えてーノ岳、二ノ岳、三ノ岳と呼ばれており、主峰のーノ岳は標高979mあります。いずれも山頂部は平坦で、その周囲が風化浸食して垂直の岩壁を成す、日本のビュート(柱状の丘)地形の典型です。
33 川崎の杖楽 川崎町
県指定無形民俗文化財 昭和51年4月24日指定(旧指定 昭和31年7月28日 無形文化財)
源為朝が杖や神通鎌と一緒に48手の技を正八幡神社に奉納たことが杖楽の起源と云われています。毎年5月3~4日に行われる神幸祭のとき奉納され、お庭借り神事の後、男子数十名が白鉢巻、白たすきの勇壮な姿で次々に技を披露します。武術を基にした舞楽は大変珍しく、為朝自身が寄進した神通鎌とともに大切に受け継がれています。
34 風治八幡神社川渡行事 田川市
県指定無形民俗文化財 昭和51年4月24日指定(旧指定 昭和29年12月13日)
風治八幡宮と白鳥神社の神輿に従って、十一基もの幟山が彦山川に入り、水しぶきを上げて五穀豊穣・天下泰平を祈ります。祭りでは上伊田西区の獅子舞が舞われます。糒や伊加利地区でも神輿や山笠の巡行が行われています。
35 豊前神楽 春日神社岩戸神楽 田川市
国指定重要無形民俗文化財 平成28年3月2日指定
田川市内の春日神社岩戸神楽は筑前ネ申楽と豊前神楽の演目が入り混じっており、筑前系の要素を残しながら多くの豊前系の演目が加えられています。春日神社の岩戸神楽を含む「豊前神楽」は平成28(2016)年3月に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。
36 豊前神楽 大内田神楽 赤村
国指定重要無形民俗文化財 平成28年3月2日指定
大内田神楽の起源は江戸時代初期だと言われています。かつては「お着き神楽」とお立ち神楽が奉納されていまにたが、今は4月28日から29日の間に行われる神幸祭の初日に「よいち神楽」が公民館で奉納されます。
37 豊前神楽 津野神楽 添田町
国指定重要無形民俗文化財 平成29年4月15日追加指定
津野神楽は、上津野と下津野に鎮座する高木神社において、毎年5月3~4日の二日間にわたって行われる神幸祭の際に、万念願を祈念して、奉納される伝統芸能です。津野神楽は、豊前一帯に分布している岩戸神楽の系譜をひいているとされます。