歳をかさねて十二年、「高根沢町史」の編さんも平成十一年度をもってすべての刊行が終わることになりました。この間、史料編三巻、通史編二巻と別冊写真集「ガラス乾板に残された高根沢」が刊行され、町として後世に伝える一つの共有財産ができあがったことを、町民の皆様とともに喜びたいと思います。
かえりみますと町史編さんの第一歩は平成元年四月、徳田浩淳先生監修のもとに歩みだされました。当時は資料編一巻、通史編一巻の二巻が計画されていました。しかし、開始して間もない平成三年、徳田先生がご逝去され、編さん事業への対応策が検討される中で、新たに私が監修を引き受けることになりました。
この間、編さん事業にも再検討が加えられ、史料編三巻、通史編二巻、計五巻が刊行されることになりました。編さんに携わる人員も一部変更をみ、新たなメンバーのもとに再出発しました。そして、各部会長の先生方の町史編さんへの情熱と部会の先生方の協力により、ここに完成の年を迎えることができたのです。
編さん事業は順調な歩みを辿ったとはいえず、発刊時期の延期を余儀なくされました。このことは町役場、町民の皆様に深く陳謝せねばなりません。しかし、次々に現れた大量の史料、当初予定していなかった別冊写真集の発刊などで、より充実した「町史」を町民の共有財産として残すことができたことは何よりの喜びです。また、平成九年六月に新たに「民俗編」の発刊が決定し、その調査が現在進行中のことは、町当局の町史編さんに対する熱意の現れと、あらためて敬意を表するものです。
ところで、町史編さんにあたっては、常に「町民に親しみをもって愛読される町史」を目指してきました。とくに通史編では、歴史研究の現在の学問的水準を保ち、読みやすく、親しみのもてる、充実した内容にするべく努力してきました。そして、いわゆる郷土礼賛といったものではなく、町の歴史を下野という地域の歴史、さらには国の歴史の中にどう位置づけるか、という広い視野から把えていく姿勢を堅持してきました。これらがその通り実現できたかどうかは、町民の皆様の判断をまつほかありません。
皆様にはこの町史を通して、自分たちが生活している地域を見つめ直し、今日あることの意義を思い、先人の歩みを考えていただければ幸いです。
十年をこえる編さん期間中、町も大きな変貌をとげてきました。宝積寺バイパスの建設は宝積寺台地東部の開発の起爆剤となり、現在の宝積台、光陽台の発展へとつながり、東の丘陵地には「元気あっぷむら」がオープンしました。
そして現在、「豊かな自然を生かし、農業と商工業のバランスのとれた田園都市を建設する」という構想のもと、町は町民の知恵と力を結集して二十一世紀に向けて「創造する町」として躍動を続けています。そこからまた、新しい町の歴史が創りあげられていくことでしょう。未来への高根沢町の発展を心から願ってやみません。
最後になりましたが、町史編さんにあたり、歴代町長はじめ町議会議員各位、編さんに携わった関係各位の暖かいご支援、並びに町民の皆様から寄せられました多くのご支援とご協力に深く感謝いたします。
平成十二年三月
監修者 大町雅美